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今月の10日に今年のノーベル経済学賞の受賞者が決定し、私が以前ボロクソに書いた「ゲーム理論」の大家へ贈られることになったようです。
********************** ノーベル経済学賞にゲーム理論のシェリング、オーマン両氏 スウェーデン王立科学アカデミーは10日、2005年のノーベル経済学賞を米国人のトーマス・シェリング・メリーランド大教授(84)と米・イスラエル国籍のロバート・オーマン・ヘブライ大教授(75)に授与すると発表した。両氏とも理論経済学の大家として知られ、「ゲーム理論」の発展・応用に貢献した業績が評価された。 ゲーム理論は、相手の戦略を想定し、それに対して自分がどういう戦略を採用した場合に、利得が1番大きくなるのかを割り出す。 シェリング氏は1960年の著書「対立の戦略」の中で、国際紛争にあたっては、実際に報復に踏み切るよりも、「脅し」をちらつかせ続けるほうが相手側に対して最終的に優位に立てるとの分析を示し、冷戦下で武力行使を回避する学術的な説明となった。 その後はゲーム理論を国家間紛争にとどまらず、現代の企業間競争にも応用した。オーマン氏はゲーム理論を元に、戦争や貿易などの紛争に際して当事者による相互理解を通じた共通認識の醸成による紛争回避が、結果的に双方の利益になることを数学的に証明した。 ********************** 私が以前書いた「ゲーム理論の問題点」を基にこの記事を見ると、「ゲーム理論で紛争を解決する」という論点自体が非常に噴飯モノであると私は思うのですが、ノーベル経済学賞の審査員から見ればどうやら「社会貢献度大」という判断のようです。 ゲーム理論批判(前編:仮定の問題) ゲーム理論批判(後編:最後通牒ゲームでの事例) もとより、他のノーベル賞(「医学・生理学」「文学」「平和」「物理学」「化学」)と比較して、経済学賞にはそれほど権威がなく、ノーベルの末裔も「経済学賞はやめたほうが良い」と訴えているくらいであるとはいえ、こういうのが受賞してしまうのですから、経済学の世界が一向に視界良好とならないわけです。 もちろん、こうした机上の経済学が文字通り「黒板の中だけで」いるうちは、それが実社会で試されることがないので、単なる「理論好きの戯言」と片付けることが出来るのですが、実社会に入り込んだときの「有害さ」をもう少し考えて欲しいと思います。 実社会に入り込んだときの有害さと言えば、証券投資の世界でいうと、オプション理論で確立して1997年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・マートンとマイロン・ショールズだと思います。 これはノーベル経済学賞という権威に大きなキズをつけた受賞であるとも言えます。この2人はLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)というファンドに深く関わることで、実社会においてモノの見事に金融工学の脆さを露呈した上に、LTCMの破綻に際して金融界に混乱を招いたことでも有名です。 その後、合理的経済学を批判した1998年のアマルティア・センや、情報の非対称性に関する研究をした2001年のジョージ・アカロフ、行動経済学に関する研究をした2002年のダニエル・カーネマンなどがノーベル経済学賞に受賞し、そうした路線から逸したように見えたのですが、今年のノーベル賞を見ていると、また「逆戻りした」という感じですね。 アマルティア・セン ジョージ・アカロフ ダニエル・カーネマン 経済学者に対して「もう少し、実社会を観察したほうがいいのでは」と改めて感じさせた今回のノーベル経済学賞受賞でした。 今日の言葉: 「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ。」 (踊る大捜査線:青島俊作の名言) P.S. ファイナンス学者も同様で、大学の教室(合理的経済人を仮定した場合の数式上の論理展開)に閉じこもるではなく、証券会社の店頭(株価ボードを見て一喜一憂している御仁たちの行動)を観察することがまともな研究に繋がるのではないかと思います。まあ、期待薄ですけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月15日 03時15分16秒
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