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2021.02.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類

weblio 辞書より


84

これ、何だと思います?
抹茶風味の創作和菓子のようにも見えますが、実はこれ、緑鉛鉱という鉱石なんですね。
研磨されたものではない天然物の鉱物がいかにスイーツっぽくて、美味しそうに見えるか、それは長野まゆみの『鉱石倶楽部』を手に取ってみるとよくわかります。
作者秘蔵の珍しい鉱石の写真に、幻想的な詩やその石についての説明文が添えてあります。
大半はその石を食べ物に見立てたものになっていますが、中には用途がレンズとか薬用、化粧品用というのもあります。
食べ物から一例を挙げると、紫水晶や蛍石はそれぞれ葡萄露と蛍玉というドロップに、水鉛鉛鉱はマロングラッセに、日長石(紅燈石)は杏(あんず)のジュレに見立ててあります。
うわっ、美味しそう!
鉱物に興味がなくてもスイーツ大好き人間であれば、見応え、読み応え満点ではないかと思われます。
「本を買ってまでは…」という人は、「コトリコ」という長野さんのブログの中の「鉱物・化石」というカテゴリを覗いてみるという手もあります。
忙しい人は「鉱物お菓子函」という一番新しい記事だけでも見てみたらどうでしょう。
イカイトなんて、どう見てもチョコレートにしか見えませんよ。笑

この長野まゆみという人は、宮沢賢治や稲垣足穂の大ファンなので、その鉱物愛も実に堂に入った感じです。
その独特な世界を堪能したい方はデビュー作の『少年アリス』がお勧めです。
私も昔から気になっていながら読んでいなかった本ですが、先日、ふと何かを思い出したかのようにチャレンジしてみました。
先程挙げた宮沢賢治と稲垣足穂、それに少しばかりルイス・キャロルをブレンドしたような作風です。
文庫本(河出文庫)で読んだので、高山宏の贅沢すぎる解説も楽しむことができました。
せっかくなので、この作品の肝を取り出して天日乾燥させたような一節を挙げておきます。

『少年アリス』は意味に緊縛された日常世界からの解放の物語である。主人公たちも一時、幻想の世界へ「飛ん」だ。文字たちもシニフィアンの戯れを思いきり繰り展げた。紙面は自由と解放の気分に溢れている。その中で、「成長」という、再び意味性の世界に繋ぎとめられることの哀しさが、いやも応もなく浮かび上がってくる。

言葉なんて意味(シニフィエ)がわかればそれでいいという人もいるかと思われますが、中には字面や音といったシニフィアンを味わい、それと戯れることに喜びを感じる人もいます。
長野まゆみの初期の作品はそうした人に向けて書かれているようなところがあり、私の関心ももっぱらそうした脱意味系に繋がっていく長野まゆみに向けられています。


85

近頃は本屋なるスペースに足を運ぶこともほとんどなくなった。
読みたい本はアマゾンに直接注文して取り寄せる。
気に入った本はいつでも再読できるように手元に置いておきたい方なので、図書館を利用する習慣はない。

それなのに、先日、外出した折に暇に任せて大型書店に立ち寄ってみたのは何ゆえか、自分でもよくわからない。
この前読んだ吉田健一がなかなか面白かったので、この人の別の作品を探すつもりだったのかもしれない。
でも、ひと昔前の芳醇な香りがするようないわゆる純文学作品など、ローカルな本屋に置いてあるはずなどない。
岩波文庫があるじゃないかという人もいるかもしれないが、あれはクラシック級の作品しか揃えていない。
ついこの前まで、現役バリバリで書いていたけど、今では文庫本の棚からも姿を消してしまったような作家さんの名作をある日突然読みたくなったらどうすればいいか。
中古本市場を漁る前に、そうした作品を唯一文庫本で出し続けている「講談社文芸文庫」の棚を本屋で覗いてみるという手もある。
たしか吉田健一の本もこの文庫から何冊か出ていることは知っていた。
ところがである!
去年までは棚を3段ほど使って並べてあった講談社文芸文庫の本が、今ではなんと1段に縮小されているではないか。
しかも吉田健一の本は評論集が1冊あるのみ。
これだから、もう誰も本屋なんかには行かなくなるんだよなあ、なんて心の中でぼやいていたら、ふとある作家の名前が目に飛び込んできた。

多和田葉子である。
ふうー、やっとここに辿り着いた。
初めから「多和田葉子である」から始めればよかった。笑
まあ、いい。
この人の名前を見て、なんだかとても懐かしい気分になった。
それが大事なこと。
物事って、なんでもそういう「ふとしたこと」がきっかけになるんだよなあ。

むかしむかし、『犬婿入り』っていう変な小説を書いて芥川賞取った人だよなあ。
単行本を買って読んだ覚えがある。
その後もう一冊、『きつね月』という短編集も買ったっけ。
それ以来この人の作品からは遠ざかっているけど、なんとこの書店の講談社文芸文庫の棚には多和田葉子の本が5冊も並んでいるではないか!
どういうこと?
まあ、純文学の作家らしく大衆受けはしないから、こうやって文芸文庫に入れられて大切に保護されているのはわからないでもないが、5冊も並ぶと、さすがにいにしえの大作家みたいな風格すら漂うではないか。
ははあ、ひょっとして全米図書賞とやらを受賞して、一躍名前が売れ、「日本人作家で最もノーベル文学賞に近い」なんて評判が立ったので、目ざとく商魂たくましい書店員が慌てて並べてみたのかなあ。
だとしたら、まったく下世話な話だ。
そんな見えすいた手に誰が乗るものかと思いつつも、気がついたら、『ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前』という短編集を手に持ってレジに並んでいた。笑
たぶん「ヒナギクのお茶」という言葉に釣られたのだと思う。

家に帰って、さっそく「枕木」という短編を読んでみる。
うわっ、なんじゃ、こりゃあ。
面白すぎる。
こちらの波動に気持ちいいくらいジャストフィットだったので、ペロッと平らげるのがもったいなくて、全部で9篇ある短編を1日に2、3篇ずつゆっくり賞味させてもらった。
どれも違う作風で、なおかつスカが一つもない。
やるなあ、多和田葉子。

だけど、そのよさを理路整然と伝えるのは難しい。
不思議感満載のとりとめもない話ばかりなんだけど、何故か面白くてクセになる。
その魅力を一言で言うとしたら、「境界がない」ということになるだろうか。
無国籍でジェンダーレスというだけではない。
日常と異界の境もなければ、現(うつつ)と夢の境もなく、おまけに人間と物や動物の境もない。
因果律の軛から解き放たれた語りに乗って、読者は行先の読めないどこかへ向かって、先へ先へと運ばれていって、何じゃこりゃあという所で放り出される。
けど、風通しが良すぎるためか、何故かしら心地よい。
たとえ登場人物が悲惨な目にあっても大丈夫。
彼らはメソメソしたり、クヨクヨしたりはしない。
何故ならすべての場面がさっさと切り替わっていくので、そんなことしている暇なんてないのだ。
すげ〜。笑
それだけじゃないぞ。
あちこちに脱力しそうなジョークや言葉遊びもふんだんに用意されているので、話の展開とかすっかり忘れて笑ってしまうこともある。
時にはそれが色んな系譜に繋がっていることを思い出させてくれたりもして、純文学のコアな読み手にはたまらなかったりもする。

例えば、「U.S. + S.R. 極東欧のサウナ」という短編の中にこんな一節がある。

「わっか」は日本語ではリングのことで、「ない」は存在しないということ。つまり、輪っかなど存在しない。これはまちがった語源の説明、または、「わっかない」を日本語として説明しようとする試み。「わっかない」は「さっぽろ」と同じで、ほぼ確実にアイヌ語から来ているらしい。でも、この単語と音の似た「おっかない」は、わたしの知っている限りでは日本語である。言葉のお里は、見かけだけでは知れない。「さっぱり」とか「うっかり」という言葉も実は昔、地名を指す外国語だったのかも知れない。

これを読んで最近亡くなった室井光広のことを思い出す人はかなりのブンガクフリークである。
あるいは、これなんかどうだろう。

日露戦争から、第二次世界大戦の終結まで日本人が植民地化していたサハリン島の南半分がカラフトと呼ばれていたが、カラはからっぽの「空」、「ふと」は「ふとそう思った」のふとだ。ふと見ると、からっぽなのだ。これはわたしのごくプライベートな語源。

「ふと」という言葉が好きな私はこれを読んで、ふとニーチェを思い出したが、中には後藤明生あたりを思い浮かべる人もいるかもしれない。





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Last updated  2021.03.01 12:42:17
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