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結局、人と人との間って、エネルギーの奪い合いなのよね~。。
と以前、ある人が言っておりました。 例えば駅で電車を待っているときだって、向こうのホームにいる男性を見て、イイ男だね~~って思うだけでもエネルギーは流れるんだよ、とも言ってました。 誰かのことを素敵だと思う。それでエネルギーが流れるなんて。目からウロコでありました。 でも、解るなあ。。その感覚。 逆にエネルギーを流れなくしてしまうこともできるんだよね。 人から評価を得る。叱られる。エネルギー循環のスイッチが入ったり切れたり、あるいは奪われたり。 誰かに(何かに)不満を持っていて、ぐちぐちと人に話す。 そうだよね~、大変だよね~、と同情してもらうと、エネルギーが流れる。いや、これは相手から流してもらって、それを奪って食っている状態なのかも知れない。。(勝手な印象です) ある関係においては、上からの評価が絶対だったりする。 子供が小さいときの親子関係とか。宗教とか。 上から認めてもらえないと、つまりエネルギーがもらえないと、それはもう死に値するくらい。 本当はそんなことで自分の存在は消滅したりしないんだけど、そういうひとつの関係に自分をがっちりと置いてしまっているのだから、それしか考えられない。 だから上に対してへーこらしてしまうのか。。。何とかそこからエネルギーをもらおうとする業でもあるのかも。 中学生になったとき、部活動の様子を見てあぜんとしたもんです。 とくに体育会系の部では(私はそこに入っていなかったけど)先輩が後輩に対して絶対の権力を持っていたんですね、その頃。 すっごい違和感を感じました。。こうしていないと、自分の居場所がなくなってしまうのか~と恐ろしかったわ~。 恨み、妬み。そんな感情から人に意地悪なことをするとき。それも相手からエネルギーを奪うことになっていそうな気がする。。 ということは、エネルギー不足なんだ、みんな。 これを赤裸々に描くことでドラマなんか成り立ってるんじゃないだろうか。嫁姑の確執なんて、絶対コレ。 最近、人のエネルギーを奪わないな~と感じられる人に数名であったんです。 その人たちは、自分がしっかりしている。つまり自立している。人のせいにしない。 こういう人と一緒にいると、楽。 でもこういう人と一緒だと、自分に対する評価も何も、すべて自分の作った枠組みが如実に反映されてきて、喜ぶも落ち込むも、自分次第ということにもなるんです。 あ~~、なんか、きょうは失望させたんじゃないか、バカなことしたんじゃないか、と思うようなことがあっても、それはこっちが勝手に下している自分への評価。 結局、ハツカネズミの車回しのように、自分であたふたしているだけ、ってことに。 疲れるのも自分の価値観のなせる業。。。 でも、私は、こういう関係、いいな~と思うんですね。 信頼感に裏打ちされていれば、こういう人とは、いつもそばに一緒にいても、いなくてもいい。 それじゃあ、ドラマにはならないし、つまらないと言えるかも知れないけどね~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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