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川崎町の石んこ日記 ~石んこ地蔵とともに~

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2008.12.08
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カテゴリ:私的日記

005.JPG12月8日です。きょうは、太平洋戦争が始まった日。

先日のラジオの投句で、正確ではないのですが、ラジオに耳をこすりつけてた十二月八日、というような句が紹介されていました。

一九四一年、そのころはラジオしかなかったですから、情報はラジオ。

真珠湾攻撃のニュースに耳を疑ったのでしょう。

 

わたしはもちろん、戦争を知らない世代ですが、父母たちは、ちょうど子供のころ。終戦時に一〇歳くらいの年齢です。ときどき話は聞きますが、なかなか実感として伝わってきません。思い出話になってしまう。

こどもたちには、どのように伝えていけばいいのでしょか。以前、もう一〇年以上も前ですが、小学校で、祖父母たちの戦争体験を、こどもたちに聴き書きさせて、まとめた人(小学校教師)がいました。そうやって、きちんと学校などで学習として扱うこともだいじだなあ、と思います。

また、最近思うことは、特にアジアの人たちへ、日本人がしてきたこと。被害者としての戦争と、加害者としての戦争。両方のことをきちんと伝えていかなくてはならない、と思うのです。

村山由佳さんの『星々の悲しみ』

祖父の兵隊としての戦争体験、それがその後の家族の生き方に連なっていく。

私の祖父も、大陸へ出征しました。その息子の娘が私です。祖父は、私の子ども時代、決してやさしいおじいちゃんではなくて、怖く、あまりいい記憶がありません。戦争のときのことが、彼に何か影を落としたままになっていたのこもしれない、と、今になって思います。この小説を読んでますますそう思うようになりました。

すると、子ども時代の家族の不和、諸々のことも、どこかで、一家族だけのことではなくて、どこにでもあった戦後のなごりだったのかなあ、と思うのです。昭和四〇年代のことです。戦争が終わって20年もたっているのに。

 

現在、二〇〇八年はどんな時代でしょう。






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最終更新日  2008.12.08 20:03:51
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