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掃除のさい、偶然に発見。クリシュナムルティの初期の本。(講演録) 1982年発行、なんと、アマゾンで、24800円~9万円の高値がついている 意識、観察、瞑想よりも、行動に関する発言(記述)が新鮮。 あなたが、はっきり見るならば、その瞬間に、その澄み切った状態から、あなたは行動しているのです。 本当に気づくなら、あなたの行動は、完全に変化するのです。14ページ 健全な精神をもったひとの人生は、神聖でよろこびに溢れ、思い通りのことがやれるのです。62ページ 観察者と、観察されるものに分裂されることによって失ったエネルギーが、そのとき溢れでてくるのです。204ページ あなたは、行動するだけなのです。206ページ being と doing が分裂してるなんて、誰がいった? まったくの迷信だ。 being と doing は、分かちがたく、はじめっから1つ 。 頭の中でねつ造した道徳やら正義・愛・覚醒、それらから解放されて、beingに戻るなら、 ハートからdoingしている自分に気づかざるをえないのだ。 河で溺れる子どもを微笑みながら『全ては愛のリーラ。何も起きていません、愛だけです。』と、流されていく子供にダンスして見せるような愚かなことは無くなるのだ。 全ては愛です、なんて言う前に、助けの手を差し伸べるなり、通報するなり、体が動いているのだ。 (何をしたかに価値があるわけではない。が、自然に動いているだけのこと。) 悲惨なニュースをテレビで見ながら、『気の毒ね~、かわいそうね~、でも全ては愛なのよ。愛のドラマを観賞してればいいの。』 とニコニコしながら、コタツでピザーラのピザを食べてワインを飲むことを『観察』、と呼ぶ瞑想指導者も多い。 クリシュナムルティの言う観察は、明らかにこれとは正反対だ。 (部外者ではない観察、観るものと観られるものの分裂ない観察、一緒の観察、本の中では様々に表現されている。) 巻き込まれない、だからといって、部外者・他人事の観察になってしまわない。 クリシュナムルティは決して行動しなさいとか、行動すべきだなどとは言っていない。ただ真の観察・気づきには、自ずと行動が1つになっていると言っているだけだ。 すべてのすべてが、ピュアで、パーフェクト それを体験して、そこにかじりついてしまうか? 表現されるままに、表現してゆくか。? かじりつくこと(執着)なく、瞬間、瞬間、死んで、 瞬間、瞬間、生まれて、 瞬間、瞬間、表現して。 瞬間、瞬間、手離して。 doingの伴わないbeingなどない。 いや、beingもdoingも無い。 同じものなんだから。 『生命とは、存在とは、同時に不断の行動である。』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.28 13:13:17
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