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ふと、10代の頃の自分を思い出した。
まだ、やりたいことが見付けられずにいた。 何をしていいのかも、何を目指せばいいのかも、 まったく見えなかった。 周りの連中は、やりたいこと、目指したいことを すでに、見つけているような気がした。 だから、焦った。 「俺は、何がやりたいんだろう。。。」 「俺は、何ができるんだろう。。。」 「俺は、何のために生まれてきたんだろう。。。」 「俺は、何のために生きていくんだろう。。。」 「俺は、・・・」 考えても、考えても、答えは見付けられなかった。 だから、不安になった。 先生からの質問、 「何かやりたいことはあるのか?」 親からの質問、 「どうすんのや?先のこと考えなあかんで。」 わからないのに、質問される。 「わからない」と言ってるのに、何度も何度も質問される。 問い詰められる。。。 だから、爆発した。 「俺だって、何か見つけたいんや!」 「俺だって、進みたいんや!」 「俺だって、充実したいんや!」 わかってもらいたい人に、わかってもらえない不安。 説明しても、言葉にならないもどかしさ。 理解してもらえない不満。 質問に答えられない自分が、生きていて意味のない人間にさえ 思えてくる。 大人の価値観、大人のルール、表層的な世界の中で「有利」「不利」 を基準に、子供の進路についてアドバイスする親や教師。。 んなもん、クソくらえ! 10代の俺は、そう思っていた。 そして今、立場が変わり、同じことをやっていないか。。。 子供に対して。 妻に対して。夫に対して。 部下に対して。後輩に対して。 「質問されている人」が「質問している人」を安心させなきゃいけない? いや違う、逆だ。 「質問している人」が「答えを見付けられず迷っている人」を安心させて やりたい。 問い詰めても、ないものは出てこない。 それを、わかってあげよう。答えが今すぐ必要な訳じゃない。 「何がやりたいのか。。。」 答えを持っていても、いなくても、 その人の存在そのものが、かけがえのないものだから。 あたたかい愛で包んであげよう。 何歳であっても、自分のやりたいことを黙々とやっているヤツは、 凄いヤツだ! クリックしてね! ありがとうございます! 10000ヒットだぁ~、皆さんのお陰です!感謝です! ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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