私家版 さいたまの石仏

2015/06/26(金)06:17

上宗岡 大仙寺 その2

志木市の石仏(26)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 今日は昨日の続き、大仙寺の石仏を見てみましょう。 大仙寺 志木市上宗岡2-7-45 山門を入ってすぐ、参道の右側に大きな観音様が立っていた。脇に立っている 石碑によると、昭和53年、新座市野火止の篤志家からこの観音像の寄進があり、 さらに檀家の寄進を受けて台座、無縁石塔、納骨堂等の整備を行ったとのこと。 観音像の真裏には無縁仏が整然と並んでいた。多分その折に境内の整理も兼ね、 観音像の左右に石仏を集めて祀ったものと思われる。 観音像の左側には石灯籠の先に二基の石塔が立っていた。 すぐ脇、二段の台座の上、子育て地蔵菩薩坐像を乗せた 三界萬霊塔 文政12(1830) 地蔵菩薩坐像。半跏にした足の上に宝珠を持った子供を乗せ、右手に錫杖を持つ。 頭の後ろには日輪光背。その穏やかな様子は心安らぐものがある。 塔の正面「三界萬霊塔」(異体字、俗字使用)左側面 當山廿世牧野□童造立之 右側面には年号。裏面に多数の戒名が刻まれていた。 台の右側面 上組、中組、下組、引又、三軒家、惣檀中とあり、世話人だろうか 二名の名前が刻まれている。左側面には関根氏、細田氏を含む20名ほどの名前、 裏面には、引又町 石工 星野勝五郎と刻まれていた。 敷石供養塔 文化14(1815)塔正面「敷石供養塔」参道の敷石を供養したものか。 上部には地蔵菩薩坐像が浮き彫りされていた。彫りは結構細かい。 塔の右側面に年号。左側面 檀中 村内 助力 願主十人野橋本長次郎事(旧字) 世話人退岸全休沙耶 関根作兵衛と刻まれていた。字はなんとか追えたが、 その意味はあまりはっきりとはわからない。 観音像の右側にも石灯籠の先に4基の石塔が並んでいる。 手前 石橋供養塔 寛政8(1796)正面「奉納秩父坂東西國 為諸願成就 石橋供養塔」 その両脇には天下泰平 國土安全と刻まれていた。 上部に聖観音菩薩坐像を浮き彫りにする。状態は良く、顔の表情まで窺える。 塔の右側面 上部に年号。その下、右ハ与野ヘ二リ 左ハ大山道引又へ十二丁。 塔の左側面 武州入間郡宗岡邑。右下に関根氏2名の名前が刻まれていた。願主か? 正面の下部にも同じように細田氏をはじめ24名の名前が見える。 隣 地蔵菩薩坐像 文化14(1815)光背右 再興願主 上組念佛講中。光背左に年号。 左手に宝珠、右手に自然木で作られたような錫杖。神秘的な雰囲気を持っている。 その左 地蔵菩薩立像 元文5(1740)光背右に大きく「念佛講中」と刻まれていた。 下部に武州入間郡宗岡村。光背左に年号。面長でかすかに微笑を浮かべている。 一番左 聖観音菩薩立像 延享(1747)衣服が独特でエキゾチックな顔をしている。 光背右「普門品読誦千巻成就供養」光背左 年号の下に誦経連衆十人敬白とある。 観音講中によって造立された「普門品供養塔」ということだろう。

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