緑区大間木 附島の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら緑区南西部、残すは大間木、下山口新田になりました。今日は東浦和駅の南、大間木附島地区の石仏を見てみましょう。附島橋南竹林 緑区大間木1542付近[地図]東浦和駅から駅前の通りを南へ向かい、見沼代用水西縁を越えた先の交差点を右折して西へ進むと、うっそうとした竹林の中に石塔が並んでいた。右の小型の板碑は応永30(1423)造立。左 地蔵菩薩塔 文化8(1811)四角い台の上に丸彫りの地蔵菩薩立像。欠損なく白カビも少ない。切れ長の目に長い鼻、福耳の個性的な顔立ち。彫りはしっかり残っている。背面中央「奉再建地蔵大士爲現當兩益也」両脇に造立年月日。下部両脇に施主、個人名が刻まれていた。再建が文化8年、創建はいつだろうか?附島畑道 緑区大間木1615[地図]駅前の通り、竹林の地蔵尊に向かう道の50mほど南を右折、駐車場の脇の狭い畑道を西に進むと、道路左側に石塔が立っていた。庚申搭 元禄12(1699)四角い台の上の舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。塔は全体に丸みをおびていて、その限られた空間の中に像や銘はほとんど隙間なく彫られている。光背と同じような体形の青面金剛。髪の中にのぞいているのは蛇か?あごの部分が欠けていてしかめ面をしてるように見える。持物は蛇・矛・弓・矢。蛇を持つのはたまに見かけるがかなり珍しい。手首には腕輪をはめている。足元の邪鬼は足を伸ばして腹ばい、ここまでへこたれた邪鬼は初めて見た。その下に三猿。素知らぬ顔をして正面向きに並んで座る。塔の最下部に十数名の名前。塔の右側面下部、三猿の横のあたりに造立年月日。さらにその左脇、狭いところに小さく武刕足立郡 大間木村と刻まれている。附島大通り西墓地 緑区大間木1601[地図]駅前の通りを南へ下り、東浦和駅から500mほど先、道路右側に城壁のように高くブロックが積まれていて、左脇の階段を上ってゆくと上は広い墓地になっていた。墓地の奥に進むと突き当りの個人の墓所の中、北側に石塔が並んでいる。その中に大乗妙典供養塔 安永6(1777)四角い台の上の角柱型の石塔に分厚い蓮台に座る丸彫りの金剛界大日如来像。宝冠をかぶり涼しげな尊顔の大日如来。結跏趺坐して智拳印を結ぶ。首にはセメントで補修された跡が残っていた。角柱型の石塔の正面に「奉納六十六部供羪塔」大乗妙典納経供養塔である。両脇に天下和順・日月清明。塔は白カビが厚く側面はまともな写真は撮れなかった。右側面に造立年月日。その横に爲四恩法界。左側面に圓心宗八大徳と刻まれている。東浦和団地東路傍 緑区大間木1584[地図]駅前の通りをずっと南へ進むと最後はT字路交差点で「南浦和越ケ谷線」に突き当たる。そのひとつ手前の信号交差点を右折するとすぐ右手の路傍、電信柱の脇に小堂が立っていた。この写真は去年4月に撮ったもの。今年の5月に訪問した時には後ろのお店が無くなっていて空き地になっていた。それでも小堂は無事に残されている。大切にお世話をされている人たちがいるのだろう。小堂の中 庚申塔 寛延2(1749)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭上は蛇冠?眼を剥いた忿怒相。頬のあたりは破損。像の右脇「庚申供養塔」左脇に造立年月日。左下に當邑講中。足元には愛嬌のある顔立ちの邪鬼が背中を丸めてうずくまる。その下に三猿。左脇の言わ猿は正面向きに座り片手で口を押さえ、中央の聞か猿は左足だけ立てて正面向き、右の見猿は中央を向き足を伸ばしてすわる。自由でアンバランスな構図になっていて面白い。