川口市新堀 正源寺の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら今日はいよいよ川口市の石仏の最終回です。正源寺 川口市新堀934県道103号線 新堀交差点の南100m、左手に正源寺の山門がある。境内に入り参道を進むと左側にお地蔵様が祀られていた。その後ろを回り込むように細い道が整備され、庭木の中に四基の石塔が立っている。地蔵菩薩立像 脇の解説板によると「いぼ地蔵」というらしい。像の裏に文字が刻まれているが近くへ寄ることができない。かすかに「権大僧都」「阿闍梨」と見えるが、年号などは確認できなかった。入口近くから順に 普門品供養塔 嘉永3(1850)正面 梵字(サ)の下「普門品供養」その脇に薄い彫りで明治十八年 一万觀供養と刻まれているが、明らかに文字が違う。あとから付け加えられたものだろう。下の台の正面に大きく「講中」両側面にそれぞれ十名ほどの名前が刻まれていた。塔の右側面 天下泰平 國土安穏。左側面に年号を刻む。続いて 庚申塔 享保19(1734)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。発達した瑞雲の下 青面金剛の頭には大きな蛇がとぐろを巻き、その両脇に「奉造立尊像」右下に「為二世安樂也」と刻まれている。足の両脇に二鶏。足元の邪鬼はじっと様子を伺っている。さらに前の台に三猿。脇の二猿が中央の猿に背を向け、悩み事でもあるかのようにうずくまっていた。塔の右側面に年号。左側面には谷古田領新堀村 庚申講中十八人と刻まれている。さらに進むと 二十三夜供養塔 寛文5(1665)梵字(サク)の下に勢至菩薩坐像。古いわりに像の状態はいい。その下の部分に文字が見えるが読み取りにくい。多分、施主十数名の名前ではないだろうか。勢至菩薩の右脇「奉待二十三夜現當成就所」続いて道行衆とある。左脇には年号。その下に谷古田之内新堀村さらに敬白と刻まれていた。最後に三社大權現供養塔 享和3(1803)正面上部 瑞雲の上に「日」を現すのだろう大きな円の中に羽黒山・湯殿山・月山。その下に「三社大權現供養」両脇には天下泰平 國土安穏と刻まれている。 塔の右側面に年号。さらに世話人名を刻む。左側面には 足立郡谷古田領新堀村。隣に 西國 秩父 坂東 そのあとは崩落寸前でよくわからなかった。正源寺から東に向かっても南に向かってもすぐ草加市に入る。というわけでとりあえずこれで川口市の石仏シリーズは一応完結とさせていただきます。今回よく見かけた独特の「川口型」の青面金剛は面白いテーマになりそうです。その分布、造立年などまとめて比較検討すると新たな発見があるかもしれません。さいたま市内でもいくつか目にした記憶がありますし、興味深いですね。