私家版 さいたまの石仏

2015/09/04(金)05:21

和光市白子 市場の石仏

和光市の石仏(15)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 今日から白子地区に入ります。北からとなると吹上観音 東明寺になりますが、 楽しみにしていた「百庚申」が立ち入り厳禁のため取材できず、とりあえず 今回は後まわしにしたいと思います。吹上観音から白子川沿いに南に向かう 道は古くからの街道で、この街道(市城通り)に沿って北のほうから市場、城山、 白子宿、坂上、牛房などのムラが続きます。今日は市場地区を見てみましょう。 市場稲荷神社 和光市白子3-27 吹上観音から市城通りを南へ5分ほど歩くと右手の高台に赤い鳥居が見えてくる。 街道から右後に入る急な坂道を登ってゆくと、途中左手に豊川稲荷神社があった。 参道の右脇に二基の石塔が並んでいる。 右 庚申塔 天和4(1684)正面を彫り窪めた中に「奉修庚申供養為現世後世」 両脇に造立年月日を刻む。その下をもう一段彫り窪めて三猿を彫る。 塔の下部には本願とあり続いて12名の名前が刻まれていた。塔の前に小さい 石柱があり、昭和5年とあるがこれは何だろう?ちょっとわからない。 隣 坂石供養塔 明治25(1892)中央「坂石拾本」右脇に年号。左脇 納主として 白子 富澤権次郎。階段の石を奉納したものだろうか。 市場大日堂 和光市白子3-11 稲荷神社の北、道を隔てて向かいに石階段があり、その先は墓地になっている。 入口左側に大日堂が立っていた 堂の中、左側に地蔵菩薩立像 文政3(1820)下の台の正面「奉造立延命地蔵大菩薩」 さらに願主として3名の名前が刻まれている。 台の右側面に年号。続いて4名の世話人の名前を刻む。左側面には市場城山講中。 稲荷坂上住宅前 和光市白子3-21 稲荷坂を登りきりさらに北へ歩くと道は左に折れる。その先の右手の住宅の前に 二基の庚申塔が寄り添うように並んでいた。 近くに寄ってみると不思議なことになっている。三猿が彫られた大きな台の上に 二基の庚申塔が並ぶ。この形は初めて見た。 左 庚申塔 天保8(1837)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。足をハスに 構えた存在感のある青面金剛。大きなショケラをつるしている。このショケラも 足元の邪鬼も相当ユニークだ。こちらの石塔では二鶏・三猿が確認できなかった。 塔の右側面に年号。その脇に明治三十二年二月再建とある。そうするとこの石塔は 天保8年の庚申塔の破損を受けて、それを模してつくられたものだろうか? 塔の左側面には下新倉 吹上中と刻まれていた。現在の住所は白子3丁目になるが、 当時の吹上は白子村ではなく下新倉村だったようだ。 右 庚申塔 天保8(1837)顔を含む多くの部分を欠いていてはっきりわからないが 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち?六臂だろう。青面金剛の足の構えは 左の庚申塔と似ている。同じ天保8年の銘を持ち、二つの庚申塔はペアでここに 並んでいたと考えるのが自然だろう。 こちらの青面金剛の足の両脇には二鶏が見える。ネコのようにうずくまる邪鬼。 その下の部分もあまりはっきりしないが両脇に猿が彫られているような気がする。 どうだろうか? 塔の右側面に年号。左側面に下新倉村吹上講中拾六人と刻まれていた。 下の台の三猿もなかなか味わい深い。上の二基の庚申塔の青面金剛と比べると この三猿はかなり大きい。台のサイズも二基の庚申塔を並べるとぴったりだ。 やはりはじめからこの組み合わせでここに建立されたものと思われる。 先日からのパソコンの不調のために思うようにブログの更新ができませんでした。 いろいろとからかってみて、やっと安定してきたのですがちょっと不安です。 買い替えとなるとまた新しいパソコンに慣れるまで時間がかかりそうですし、 さて、どうなることでしょうか・・・

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る