私家版 さいたまの石仏

2016/12/13(火)20:31

岩槻区真福寺の石仏

さいたま市岩槻区の石仏(168)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 今日は南下新井の西の地域、真福寺の石仏です。 城南小学校西 県道324号線路傍 岩槻区真福寺30 県道324号線、城南小学校の西の信号交差点のすぐ南、道路西側にあるゴルフ練習場の角の所に庚申塔が立っていた。 庚申塔 文政2(1819)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台の正面に岩槻独特の妖艶なポーズをとる三猿が彫られている。 塔の右側面に造立年月日。その横に 北 いわつき道。台の右側面には講中とあり、十名の名前が刻まれていた。 塔の左側面 中央に真福寺村、両脇に 南 江戸ミち 西 めうけん道。台の左側面には九名の名前が刻まれている。 久伊豆神社 岩槻区真福寺414 ゴルフ練習場の角から西に向かう。400mほど先の右側に久伊豆神社の入り口があった。入口から二の鳥居まで、長い参道が続いている。 二の鳥居をくぐると、正面の拝殿の左脇に四基の石塔が整然と並んでいた。 右 庚申塔 貞享2(1685)江戸時代初期の板碑型三猿庚申塔。彫り窪めた中に梵字「ウン」日月雲に続き中央に「奉供養庚申講家門繁昌二世安樂所」上部両脇に造立年月日。下部両脇に同行 拾人。下部に素朴な三猿を彫る。 その隣 庚申塔 享保14(1729)ここにも「川口型」庚申塔があった。こうなると「川口型」という表現は適切ではないのかもしれない。 塔の正面中央を彫り窪め、その上に日月雲。中に青面金剛立像 合掌型六臂。独特な髪型と腕の処理。つり目三眼で牙の生えた青面金剛。どくろの首輪をし合掌して立つ。彫りは細部まで美しい。 下部もこの型の定番。むすっと寝そべった邪鬼と三猿の間に二鶏が収まる。三猿は左右が内向きだが左は足を投げ出し、右が正座と、ちょっとアレンジされていてこれも面白い。 塔の右側面「奉造立供養庚申青面金剛尊像一躯」さらに現當悉地 成辨祈処。 塔の左側面に造立年月日。その下には真福寺村庚申待講中、結衆女中貳拾人祇白と刻まれていた。 その左 庚申塔 嘉永5(1852)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台は二段になっている。 上の台の正面に三猿。それぞれラフな格好で座る。左の言わ猿は片手で中央の聞か猿を指さす。この形は岩槻ではいくつか見かけた。石仏巡りを始めた頃、この形の三猿を大宮区か、北区で初めて見た覚えがある。岩槻石工の仕事だったのだろう。見沼区片柳で巡り合えた田中武兵衛作の芸術的な庚申塔など、いろいろな地域に岩槻の石工の優れた仕事を見ることができる。 塔の右側面に造立年月日。左側面に武州埼玉郡真福寺村。台の両側面に合わせて三十名ほどの名前が刻まれていた。 左端 猿田彦大神塔 明治20(1887)三段の台の上、大きな片岩の表の面に「猿田彦大神」すぐ下の台の正面には當村講中と刻まれている。 正蔵院 岩槻区真福寺451 久伊豆神社の入口からさらに西に歩くとすぐ正蔵院の入り口に着く。山門前は広い駐車場と広場になっていて広場のほうに石塔が立っていた。 六地蔵菩薩立像 正徳6(1716)三基の石塔にそれぞれ二体の地蔵菩薩立像を浮き彫り、合わせて六地蔵になる。両脇の二基の光背には同じ内容の銘、造立年月日ならびに真福寺村 施主四拾三人と刻まれている。真ん中の塔の光背は右脇に「奉供養六地蔵念佛講中」左脇に真福寺村施主四拾三人、さらにその下に本願とあり個人名が刻まれていた。 山門の左側は広い駐車場になっていて、その一角にたくさんの無縁仏が集められている。その中に地蔵庚申塔なども含まれているようだが、隙間なく並べられているために銘も確認できず、写真もうまく取れない状態で残念ながら記事にはできなかった。

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