私家版 さいたまの石仏

2020/02/22(土)19:10

石仏画集 納経供養・石橋供養・道標編 緑区宮本 氷川女體神社

酒井 正 石仏画の世界(162)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 41P目 緑区宮本 氷川女體神社境内に立つ道標 弘化2(1845)もともとは大間木の赤山街道に立っていたものだという。 見沼代用水に架かる朱塗りの氷川女體橋の先、長い階段の上に鳥居が立ち、その奥に氷川女體神社の拝殿が見えた。 石段を登り切り鳥居をくぐると静かな境内が広がる。右手を見ると参道の右脇、大きな基壇の上に石灯籠が立っていた。境内は古木が多く薄暗い。 台の側面に岩槻の名石工、田中武兵衛の名前が刻まれていた。 拝殿の左手前、大きな木の下にスケッチの道標が立っている。 道標 弘化2(1845)角柱型の石塔の正面に「女體宮道」右脇に武蔵國一宮とある。男神スサノオノミコトを祭神とする大宮氷川神社、女神クシナダヒメを祭神とする氷川女體神社、さらにその真ん中に位置する中山神社(中氷川神社)三社を総称して「武蔵國一宮 氷川神社」としたものだろう。拝殿にも「武蔵國一宮」の扁額がかかっている。 塔の左側面に造立年月日。右側面には「宮本まで是よ里五町」と刻まれていた。 社殿の周りには多くの境内社、末社が立っている。拝殿の前から右奥に進むと、境内社の近くに二基の石塔が並んでいた。 手前 順礼供養塔 文政13(1830)二基の石塔の並んでいる様子から見ると写真左の面が正面のようだが、銘を調べてみるとその左の面は無銘で、他の三面に銘が刻まれている。本当のところはわからないが今回は写真右の面を正面として見てみよう。角柱型の石塔の正面中央「大山石尊大権現五拾五度参」両脇に天下泰平・郷中安全。江戸時代に盛んだったという「大山参り」それにしても55回というのはそれだけの経済的、時間的余裕がなければなしえないことだろう。左側面中央「越立山 富士山 湯殿山 嶽々 坂東 秩父 西國 拝禮供養塔」順礼姿で日本全国を回ったのだろうか? 右側面に造立年月日。続いて願主とあり、個人名が刻まれている。 左 榛名山 三峯山 供養塔 文久2(1862)角柱型の石塔の正面「榛名山 三峯山大権現」右側面に造立年月日。左側面に一天平定 日月清輝。台の正面には「宮本同氣」と彫られていた。

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