私家版 さいたまの石仏

2020/05/10(日)20:10

新座市あたごの石仏

新座市の石仏(33)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 今日は野火止の西、あたごの石仏です。 山田うどん駐車場隅 新座市あたご2-1 志木街道、関越自動車道を越えて100mほど先、道路右側にある山田うどんの駐車場の隅に小堂が立っていた。 小堂の中には馬頭観音の文字塔 嘉永3(1850)と丸彫りの石地蔵が並んでいる。 地蔵菩薩立像 寛政5(1793)新しい帽子、衣装を身にまとい、静かな表情を浮かべている。 石塔の正面「南無地蔵大菩薩」両脇に諸悪莫作・衆善奉行。右側面に造立年月日。その左下に菅沢村と刻まれていた。 志木街道桜株通り交差点角 新座市あたご2-3 さらに200mほど進むと「桜株通り」との信号交差点の北西の角に三基の石塔が並んでいた。 左 庚申塔 宝暦12(1762)駒型の石塔の正面を凝った形に彫りくぼめて、中に「庚申」その下に武州新座郡 菅澤邑。 塔の右側面に造立年月日。その脇に大きな字で北 川越道、左側面にも同じタッチで西 八王子道と刻まれている。 中央 庚申塔 文政8(1825)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。冠型の頭部中央に蛇がとぐろを巻く。比較的大きなショケラは青面金剛の左ももにすがり付いていた。 足元に漠然とした邪鬼。三猿は動的な構図で、特に右の言わ猿は右手で口を押え、左手は地面につき身をのけぞらせていてこれは珍しい。 塔の右側面に造立年月日。左側面には菅沢村講中十四人と刻まれている。 右 石橋供養塔。かなり風化が進んでいて銘も読みにくい。角柱型?の石塔の正面「石橋修理供(養)」上部に多くのくぼみ穴が見られた。 塔の右側面、資料によるとこちらに文政8年3月吉日の紀年銘があり、左側面に四方向四地名の道標銘がまとまって刻まれているとなっているが、実際には両側面に二地名づつのように見える。紀年銘は見当たらない。なにか勘違いがあったのだろう。資料に記載された紀年銘は、隣の青面金剛庚申塔と同一なので、そのあたりの取り違えかもしれない。こちらの二地名は北 かわごへミち、東 ひきまたミち。 左側面、上部は破損が著しい。こちらの道標銘は、くめがハみち、ところざハミちのようだ。 この交差点から志木街道を50mほど進むと東京都清瀬市に入る。

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