私家版 さいたまの石仏

2024/01/16(火)06:05

桜区西堀 与野道旧道 日向の庚申塚

さいたま市桜区の石仏(90)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 西堀も残すところあと二カ所、今日は日向の庚申塚を見てみましょう。 日向の庚申塚 桜区西堀9-26​[地図]​ 西堀の氷川神社あたりから与野道を北へ向かうと県道57号線の日向交差点に出る。さらに北へ120mほど、道路左側にある信用金庫の先の細い道を左折、下り坂の道の途中に小堂が立っていた。 小堂の中に四基の石塔が並ぶ。堂の中には石塔の詳しい解説が貼られていた。 右から馬頭観音塔 宝暦5(1755)角柱型の石塔の上に馬頭観音坐像が乗っているかのように見えるが、こちらは一石から上部に馬頭観音像を彫りだしたものであまり見たことがない形式。 梵字「カン」の下に馬口印を結ぶ三面八臂の馬頭観音坐像。三面ともに忿怒相。脇の二面が前面に乗り出すようにしてほぼ正面向きというのは珍しい。持物は棒・法輪・斧・棒?・空手・数珠。彫りは細部まできれいに残っていた。 像の下、右から造立年月日。続いて西堀村日向。左に願主一名。その下に施主15名の名前が刻まれている。 その隣 庚申塔 宝暦7(1757)角柱型の石塔の正面上部を四角く彫りくぼめた中に青面金剛坐像を浮き彫り。その下に大きく「供養」養の字は上下を分解して偏と旁にした独特の文字で、結構よく見かける。塔の下部は粗彫り風になっているが、後の二基の石塔も同じような処理がされていた。 顔の表情は風化のためかもうひとつはっきりしない。合掌手以外の四臂の持物は矛・法輪・弓・矢。邪鬼・二鶏の姿は無く下部に三猿だけが彫られていた。 塔の右側面に造立年月日。その左下によの道。右下の銘は達筆すぎて?うまく読み取れないが。□□きた?左側面に當村講中と刻まれていた。 塔の裏面にも銘が刻まれている。空間の余裕がなく全体を写すことはできなかったが、右 はやそ道 どうまん道、左 わらび道 えど道とあり、立派な道標になっている。 続いて 庚申塔 文化10(1813)角柱型の石塔の正面「庚申塔」 塔の右側面 わらび道 どうまん道。 左側面にも・・・・道と見えるがうまく読めない。状況から判断すると北方面だろうから、よの、おおみや あたりか? 裏面はやはり狭くピントの合った写真は撮れなかったが、上のほうに造立年月日が、その下に日向講中と刻まれていた。 左端 二十三夜塔。こちらは風化が進み塔の上部は一部剥落。塔の正面に「二十三夜」十の字はほぼ見えない。 右側面奥は造立年月日らしい。・・・・・四月吉日、堂内の解説によると嘉永2(1849)ということだが、現在の状況では判断は難しい。その横、・・び・ち と見えるのはわらびみちだろう。左側面は隙間が狭く銘を読み取ることはできなかった。ここに並ぶ四基のうち、右端の馬頭観音塔をのぞく三基はいずれも道標になっている。「日向」が古くから交通の要衝だったということだろう。

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