私家版 さいたまの石仏

2024/03/12(火)19:18

浦和区瀬ケ崎 三島神社と東泉寺の石仏

さいたま市浦和区の石仏(28)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 領家から東へ進み、瀬ケ崎に入ります。今日は三島神社と東泉寺の石仏を見てみましょう。 三島神社南角 浦和区瀬ケ崎2-15​[地図]​ 北浦和駅東口から東へ向かう北宿通り、産業道路を越えて500mほど先の道路右側に三島神社と東泉寺がある。三島神社の手前を右折して南へ進むと左手、T字路の角、高いところに石塔が立っていた。 庚申塔 寛政8(1796)角柱型の石塔の西向きの面 中央に「庚申塔」右脇に是より南 うらわミち。左脇に是より西 大ミやよのミち。 南向きの面中央に「巳待塔」左脇に是よ里東 阿かやま道。右下に華渓老人書。 北向きの面中央に「甲子塔」右脇に是より㣺いわつきミち。 東向きの面に造立年月日。続いて瀬ケ崎村 願主武笠氏と刻まれていた。庚申塔・巳待塔・甲子塔であり、三面合わせて五地名が刻まれている道標でもある。 東泉寺 浦和区瀬ケ崎2-15​[地図] 三島神社南のT字路から東に進むと道路左側に東泉寺の入口があった。山門手前両脇に石塔が並ぶ。右手前、道路近くに天台宗 青柳山普光院 東泉寺と刻まれた寺標が立っていた。 山門左脇 ブロック塀の隣に二基の庚申塔の文字塔が並んでいる。 左 庚申塔 昭和6(1931)隅丸角柱型の石塔の正面「庚申塔」 塔の左側面に造立年月日。右側面に「交通安全」裏面に瀬ケ崎有志一同と刻まれていた。 右 庚申塔 天保5(1834)角柱型の石塔の正面「(庚)申塔」塔の上部は剥落している。 塔の右側面、かなり傷んでいるが銘は残っていた。右に□佐きみち。木崎だろうか?左に うらわミち。道標になっている。 左側面に造立年月日。年号は欠けていた。5年で午年となると文政5(1822)天保5(1834)安政5(1858)があるが、資料には天保5年と明記されていて、以前はそう判断するだけの材料があったのかもしれない。左脇に(武)刕足立郡瀬ケ崎村、中央下に大ミやと刻まれている。 山門のすぐ左手前 大乗妙典供養塔 明和5(1768)二段の四角い台の上、宝珠をのせた大きな角柱型の石塔の正面、梵字「アク」の下に「大乗妙典一千部供養塔」両脇に天下泰平・國土安全。 塔の左側面に造立年月日。石塔の規模にふさわしく、字は雄大で力強い。 左側面に回向文。裏面中央 武州足立郡瀬箇崎村於東泉寺安置之。左脇に施主 同所とあり武笠氏の名前が刻まれている。 上の反花付き台の左側面、右端に連中とあり、続けて當所 武笠氏から始まって、與野町、本太村などから合わせて9名の名前。 右側面 奥に連中とあり、柳埼村、中尾村、千駄村などから8名の名前。最後は當寺隠居 義明 以上と締めくくられていた。 山門右脇の植え込みの中 大日如来真言塔 安永5(1776)大きな粗彫り角柱型の石塔の正面に梵字で「アビラウンケン」大日如来の真言である。塔の右側面に「永代十五日普門品」 塔の左側面「永代八日百萬遍」裏面に造立年月日。その下に願主瀬箇崎村 東泉寺住義明。山門左脇の大乗妙典供養塔にあった「當寺隠居義明」と同一人物だろう。 境内に入ると左側、鐘楼の先に歴代住職の墓地があった。 墓地の北、阿弥陀如来坐像 元禄10(1697)二段の台に反花付き台を重ね、円柱形の石塔の上に蓮台に座る丸彫りの阿弥陀如来像。 厚い蓮台の上の阿弥陀如来像。首に補修跡があるが、他に傷はなく、白カビもほとんど見あたらない。 円柱形の石塔の正面、右に青柳山東泉寺 □□□十三代。中央はうまく読めないが法名か。左に紀年銘、こちらは命日だろう。

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