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カテゴリ:その他のお話
中国という国はなにかを勘違いしているようだ。
共産圏だった時代は日本に置き換えれば「鎖国」に等しく、その長きに渡って「井の中の蛙」であった。 世の中が急速に変化を遂げる中にあって、取り残された感の強い国だけに、その遅れを取り戻すことに関して必至だ。 一気に開かれたおかげで基盤が整う前に道具が氾濫した。パソコンなどのITCに関しても、ある日突然目の前にあって、使うようになった・・・日本では段階的に取り込まれてきたものが、まるで突如として出現した未来の道具のように。 だから、中国の人はMS-DOS、Windows3.1などのOSも知らない。というか、知っている人は極小だ。 基盤がないから、そこから発展させる技術を持たない。その代わりにパチモノを作る。かつての日本が「猿真似」と言われたのと同様だ。ただ、日本はいち早く、独自の技術(ものを小さく作るなどの)を開花させたし、コピー商品に対する嫌悪も持った。 国際社会の中にあるためには「肖像権・著作権」などが重要な意味を持つ。だから、その部分に関する意識は過敏になった。その結果として、着々と今の位置を作り上げてきた。 中国は違う。 全体としての水準は考えていないし、モラルもない。周辺海域に関しても浅ましいにも程があるくらいだ。 正直、中国の成長は個人として嬉しい限りだし、アジアの中心になってもおかしくないと思っている。ただ、今の勘違いしたままの中国では世の中に出すにはいかない。 国の中の貧富。お金の使い方・・・国土の考え方・・・周辺諸国への配慮・・・なにひとつとして片付いていない国。 韓国の警官が死傷した事件をとっても・・・だ。国民意識の低さであり、その行為そのものが中国の国内では有効なものだとしたら、これ以上国際社会の中に入り込んではいけない。まず、その勘違いを是正するべきだ。 そういうモラルやコンプライアンスが国民に行き届いて、貧富の差が埋まってはじめて、大国としての存在をアピールすればよい。どん欲なのは良いが、度を過ぎればそれは「浅ましさ」でしかない。 中国という国は嫌いではない。歴史もある。その歴史を誇り高きものにするのか、たんなる世間知らず(鎖国状態)にしてしまうのか・・・これからの考え方次第だ。 まずは、国として自国の漁民が行った行為を公式に謝罪するべきだ。それすらできないのであれば、国際社会は「中国」に対して「No」を突きつけるべきだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
December 14, 2011 03:28:18 PM
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