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テーマ:精神の世界(125)
カテゴリ:宗教
『法華経』の観世音菩薩普門品には、「念仏解脱」とでも言いますか、浄土経典で説かれている「念仏往生」とは実質的には異なるものですが、念仏という共通項によって類似の感もある衆生救済法が説かれています。 説法の冒頭のところには「もし百千万億の衆生が、様々な苦悩を受けていても、観世音菩薩の名を聞いて一心に称名すれば、観世音菩薩は直ちにその音声を観じて、彼らすべてを苦悩から解脱させるのだ」というようなことを説いています。 またそれに続けて、救済の具体例を挙げて「大火に包まれていても、焼かれなくてすむ」とか、「大水に流されていても、浅瀬が得られる」とか、「刀で斬られようとしていても、刀が砕けて救われる」等々、その他様々な苦悩から解放されるという、救済力万能のスーパーマンのような菩薩像(菩薩法)が描かれています。勿論この救済法は、嘘や作り話ではなくて、実際に起こるものです。 これを私は、浄土経典で説かれている念仏に因する極楽往生の「念仏往生」と区別して、取り敢えず「念仏解脱」とでも名付けておこうかな、とも思っています。 ……と、ひとまずは観世音菩薩普門品に説かれている理法を紹介する文を、余所にも書きました。或るコミュニティでのことだけどね。しかし反応は寂しいものだった。相当に厳しい修法体験をしていないと、この理法を納得できないってことでしょうかね。 これまた何年も前のことだけど、或る僧侶のブログで、この観世音菩薩普門品の経説を取り上げ、「方便だとしても、嘘もほどほどにと云いたいね」というような批評をしていた記憶もあるけれど、現代はそういう書き方をした方が、世にうける時代になっているのかなと、底知れぬ寂しさを覚えたわけです。 でも、そういう時代だからこそ、仏教が伝えている、迷いの苦界から解放された清浄な心に導く解脱法を、独りの細やかな声ではあっても、コツコツと伝えて行かなくてはならないのではなかろうかとも思うのです。
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最終更新日
2020年04月08日 10時39分15秒
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