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風狂夜話2

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2007年12月01日
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「マイ・ラスト・ソング」と気取ってはみたが久世光彦氏の名著に惹かれて

書いてみるのである。

久世氏によれば、それは「末期の時に、何か最後にリクエストするとしたら

どれを選ぶか」という歌になる。

いささか厳粛なものになる。

まずわたしの場合は「仰げば尊し」である。

これはその昔卒業式の定番だった曲である。恥ずかしながらわたしはこれを

涙ぐまずに歌えない。もちろん最近であるが。

特にわたしの15歳の中学生卒業式のときの情景は忘れがたい。

わたしたちの中学校は当時全国でも有数のマンモス校で1学年11級もあり、

500余名の同期生がひしめいていた。

しかし、その頃のM企業の閉鎖で町は一気に衰弱した。

ためにわたしたちは毎日のように友人との別れの引越し劇を演ずることとなった。

だから最後の日は400名を切っていたと思う。

なかには、ブラジルやパラグアイなどへ引っ越す友もいた。

あれから40年余を経ている。

さてこの歌であるが文語調で詩的であり、これから巣立つ少年少女の胸底にむせかえる

ような惜別の情を与える。

とくに2番めの「身を立て 名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば」

というフレーズにはしみじみしてしまう。

わたしたちの世代はさまざまに地方から笈を負い大都市に職を得て「身を立て 名を

あげる」ことが使命となっているところがあった。

「今こそ 別れめ いざさらば」

という歌詞は今生の別れのような趣きがあった。

とりわけわたしには担任だったH先生のことが思い出される。

国語を担当する女教師であった。先生はある国語の時間に教科書に載っていた

宮澤賢治の「オッペルと象」の感想文を生徒に課した。

わたしはその時、最高点のような形で誉められたのである。

先生は「F君は他のひとには見えない部分に光をあてて論じている。

非常に分析が深い」云々と評してくれた。

当時いろいろ鬱屈していたわたしにとって思いがけない励ましの言葉であった。

それから一生懸命に修学したことは言うまでもない。

H先生に対しては今でも「わが師の恩」を感じている。

だがこの歌はもう卒業式の定番になってはいないようだ。

教師と生徒の関係も変わっていて昔のような敬愛や聖職の観念がないという。

むしろ父兄のほうが教師をののしり、侮蔑し、つるし上げまでするという。

誠に哀れな時代になったと思う。

師に対する尊敬や畏怖の念がないところに真の意味の成長や感謝は生まれないと

思う。間に入って生徒は確信がもてない。あれかこれかと。

この状態はおそらく社会人になっても変わるまい。残念であるが。

いずれにしてもわたしのラストソングの第1は「仰げば尊し」である。

歌手も森繁久弥さんにお願いしたい。(台詞が泣かせる)

台詞にあるように、中学生の時は学校の便所で煙草を吸い、毎日のように殴りあい、

の喧嘩の仲裁をし、今でいういじめの傍観者であったことを思い出す。

ある友人は1年ほど少年院に送られたが、H先生は彼に「決して諦めず更生するのを

待ってます」と励ましたのである。

思えば牧歌的でのどかでもあった時代である。

今そのころの人々はどのように生きているのだろう。いざさらば。







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最終更新日  2007年12月02日 01時06分16秒
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