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風狂夜話2

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2007年12月24日
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戦後の原点とする。二つの事件を深く心にとどめたからである。

一つは「帝銀事件」もう一つは「収容所から来た遺書」の山本幡男の

アムール句会である。

「帝銀事件」は昭和23年1月におきた。東京都豊島区の帝国銀行

椎名町支店に現れた男が、伝染病予防のためと称して青酸カリの溶液

を飲ませて12名を毒殺、現金を奪った事件である。

犯人とされた平沢貞通は犯行を否認したが、死刑が確定。

刑の執行がなされないまま昭和62年獄死した。

ちょうど昨夜熊井啓監督の特集をNHKで見ていたので、この事件を扱った

監督の「帝銀事件・死刑囚」を再見したのである。

そしてこの事件が戦後のGHQ占領支配時代のいわばシンボルのような事件

であるなと感じたのである。

すなわち旧満州の日本陸軍の細菌兵器研究部隊の存在があばかれるのを

怖れるGHQ側の圧力により日本警察及びマスコミが平沢という民間人、しかも

画家という人間を犯人に仕立て上げなければならなかったという事実。

しかもその部隊の残存者が朝鮮戦争や某製薬会社へ流れて活躍しているという

戦後の闇を監督は鋭く切り込む。

戦争責任どころではなく、更なるGHQ加担、朝鮮戦争幇助というていたらく。

日本の戦後復興の裏に底流のようにうごめく闇の勢力がある。

もう一つ「アムール句会」は、ソ連スターリン体制の下で日本の旧満州の陸軍

兵士、満鉄や開拓団の民間人などさまざまな群像が強制労働させられたシベリア

の収容所の話である。

アムール句会とはシベリア抑留(60万人ともいわれる)の厳しい生活のシンボル

といえる日本人の苦闘の物語である。

極寒のシベリアで重労働と空腹の日々を山本幡男がはじめた文集や句会によって

まぎらわし、耐え抜いていった人々のそれは人智を超えたような苦難であった。

山本は敗戦後12年にしてハバロフスクの強制収容所で病死した。

45歳であった。

彼が心配していた長男の東京大学合格の知らせが届いたのは、亡くなったすぐ

あとだった。

「子供等へ

山本顕一、厚生、誠之、はるか 君たちに会へずに死ぬることが一番悲しい。

成長した姿が、写真ではなく、実際に人目みたかった。

…私の夢には君たちの姿が多く現れた。それも幼かった日の姿で……あゝ何といふ

可愛い子供の時代!

君たちを幸福にするために一日も早く帰国したいと思ってゐたが、到頭永久に

別れねばならなくなったことは、何といっても残念だ。(略)」

これが山本の病床での子供等への遺書の一部である。

ラムール句会の主宰として山本は多くの句友に恵まれ、シベリアらしい厳しい

秀句を残している。

 如月や 嶺々を青しと 見る夕べ   

シベリアの二月をうたったもの。春を待ち望む心、そしてダモイ(日本帰還)の

希望をうたったものである。

しかしついに山本は力尽き、白樺の木の下に葬られる。(白樺派といわれた)

句友たちの家族に対する山本の遺書の配達は断続して行われ、亡くなって33年目

の昭和62年の夏に最後の7通目が届いた。

それらはすべて暗記して忘れずに記されたものである。

人間の凄さを思い知る。

日本人のよき面と醜い面を知らされるエピソードに満ちている。






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最終更新日  2007年12月24日 11時06分52秒
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