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テーマ:『BLEACH』(613)
カテゴリ:いじりの話
蕎麦の国も昨日から梅雨入りです。
BLEACHの中で一番梅雨が似合いそうなキャラはやっぱりイヅルかなあ。 ではどうぞ。 ・・・梅雨。 5月下旬から7月にかけての雨の多い時期の事だ。 どうして”梅”の文字がつかわれているかと言うと、梅の実が黄色く熟す時期だからだそうだ。 なんでも中国でもこの時期のことを梅雨と言うそうな。この時期と梅はどうやら切っても切れない縁らしい。 梅の実が熟すのはいいのだが、毎日毎日どんよりとした雲が立ち込め、しとしとと雨が降る日が続けば、正直誰しも気が滅入ってくるものだ。 この時期、あまり変わらないのは、梅雨などまったく屁とも思わぬような豪傑か・・・若しくは常に上々のテンションの低さの持ち主である。 「・・今日も雨か・・。また洗濯物・・乾かないな・・。」 現在三番隊を預かる者にしてはずいぶん庶民的な呟きが洩れるのは、今日も上々のテンションの低さの吉良イヅルである。 両親を早くに亡くし、身の周りのことを当然のように自分でこなしてきた下級貴族のイヅルには、ついつい明日の洗濯物を何処に干すかを思案してしまうのだ。 もう干せそうなところは大体干している。自室の天井は洗濯物だらけだ。 「そろそろ先に干したものが乾いてくれないと、着替えが無くなってきちゃったしな・・。」 フンドシの替えはあと何枚あったっけ・・。などと考え回廊を行くイヅルはあくまでいつもと同じテンションだ。 「おはようございます、吉良副隊長。」 「ああ、おはよう。」 イヅルに声をかけてくる隊士たちのテンションも幾分低い。 梅雨のジメジメは、はやり隊士たちのテンションにも影響を及ぼしているようだ。 『・・やっぱりみんなこの時期イヤなんだろうな・。』 まあ普通はそうだろう。 油断すれば直ぐにカビが忍び寄るこの季節だ。テンションにもカビが生えそうなのは否めない。 しかし、イヅルはそんなにこの季節が嫌いではない。 イヅルは無駄にテンションが高い相手が正直苦手だ。 一緒に居るだけで、倍疲れてしまうからだ。 この時期は流石に普段はテンションが高い者でも、幾分は緩和される。 それにこの時期は外に出づらいためか、隊士たちは隊舎に居る事が多く、書類仕事もはかどる。 普段は雑談ばかりの者たちが、なぜか黙々と書類を片づけているのを見るのは、正直イヅルとしては喜ばしい限りだ。 早めに仕事をして、早めに帰る。 そして、自室で静かな時をゆっくり過ごす。 「・・そうだ。今日は梅の掃除でもしようかな・・。」 イヅルは自分で梅干しを作る。 元々そんな趣味は無かったのだが、上司の干しガキ作りに無理やり付き合わされるうちに、自分のよく食べる漬物くらいつけてみようかと思うようになったのだ。 イヅルは胃腸が弱い。←笑 それゆえ、胃酸の分泌をよくする梅干しは好き嫌いは別としてよく摂る食品だ。 ストレスによって食欲が大幅に変動してしまうイヅルには薬にも等しい。 それに実際、梅干しは腐敗防止の作用もあり、それこそこの時期の必需品。 そして、勤務時間外には三番隊舎においてせっせと梅の実の掃除をするイヅルの姿が見られるようになるのである。 黄色く熟した梅の実のヘタを竹ぐしで一つ一つ取り除くという、ちまちまとした作業だ。 以前、恋次が気まぐれで手伝うと言い出したのだが、梅の実3つでぷっつりとキレた。 どうやらこういう作業は恋次は向かなかったようである。 ひとつひとつヘタを取り除く作業は確かに面倒なものだが、イヅルは結構気に入っている。 ・・・しとしとと静かに降る雨の音。 自然にイヅルは思索の世界へと旅をする。 思い浮かべるのは今までのことだ。 隊長の裏切り。これまでの自分。 思い浮かべても何の解決にもならないのは解っている。 既に起こった事は変えられない。 けれども、つい考える。 これから自分はどうあるべきなのか。 これから自分のなすべきことは何なのか。 ・・自分は、その時が来た時・・・裏切ったあの隊長を斬れるのか。 そこまで考えついた時、イヅルは自分の手が全く止まってしまっている事に気が付く。 何もなかったかのように、また手を動かすイヅル。 ・・斬れるのか、ではなく、斬らねばならぬというのが当然なのだ。迷いがあってはいけない。 思い定めていたとしても、“その時”がこなければ、きっと自分の行動は解らないだろう。 唯一つ確かなのは、あの人たちは裏切り者だという事だ。 手を動かしながら、つらつらとさまざまな事を考える。 ・・イヅルはこの時間が好きなのだ。 何時もは隊の仕事に追われ、ゆっくりと思索を巡らせることなどなかなか出来ない。 考える時間が取れないのは納得している。 自分は隊を預かる身だ。 即断即決するのは義務に近い。 ・・だけどイヅルは自分には考える時間が必要であることを知っている。 ・・・考えて考えて考えて。 たとえその時間を使っても、最初の進むべき道と全く変わらない結論が出たとしても、イヅルには必要なことなのだ。 イヅルに必要なのは、熟考したという事実だ。 それでイヅルは自分の結論に自信が持てる。 「これでよかったのか。もっと他にやれることがあったのではないか。」と自分を責める気持ちが和らぐから。 ・・・しとしとと相変わらず雨が降る。 梅のヘタを取るイヅルの手が再び止まり・・そしてまた動き始めた。 なんちゃって。 方向定まらんけど、とりあえずUP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月11日 23時08分10秒
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