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カテゴリ:気付き・想ひ
私は、日を追うごとに糸井重里さまが大好きになってゆきます。
軌道数:7 表現数:3 ハート数:9 人格数:3 ハート数が私と同じ9だし、軌道数が7ってところも、多々「7」な私にとっては 「7」の匂いがするっ W(°o°)w って感じで共感だし、でも、何より糸井さまの素敵さをよく表してるのはやっぱり 3 ではないでしょうかと思うのですよねぇ(〃∇〃) 子供のような遊んじゃう感・・ 子供のような面白がり感・・ 子供のようなそのまんま感・・ そして、屁理屈で固めよう固めようとするような世の中を、 いっつもつついたり、くすぐったりして、柔めよう、緩めよう、とされてるような、 そんな感じも好き。 視点が自由自在な感じも好き。 『今日のダーリン』はいつも毎日、「ほぼ」確実になにかしら感動してますが、 昨日の『今日のダーリン』も、感銘を受けたので、ここにコピペします。 毎日消えちゃうケド、消えて欲しくないから、忘れたくないから、ここにはコピペです! 1月24日 今日のダーリン これは、じぶんのためにメモしたことなのだけれど、 もっと普遍化してもいいんじゃないかと思って、 少々ぶしつけではありますが、 ここに記す次第であります。 なめるな。 この4文字であります。 じぶんが、なにとなにを、なめているか? それを、とにかくチェックすることが大事だと、 そう思ったのです。 攻撃型の選手が「守備をなめてないか」 都会で育った人が、「地方をなめてないか」 おとなは、「こどもをなめてないか」 不良少年は、「不良じゃない子をなめてないか」 先進国の人々は、「開発途上国の人をなめてないか」 忙しそうに働きまくる人は「休息をなめてないか」 男は、「女をなめてないか」、またはその逆。 感情は、「論理をなめてないか」 というふうに考えていくと、 あんがい、人はなめてばかりいるように思いませんか。 金をなめてないか、貧乏をなめてないか、 運動をなめてないか、病気をなめてないか、 地震をなめてないか、津波をなめてないか、 テレビをなめてないか、新聞をなめてないか、 インターネットをなめてないか、個人をなめてないか、 お笑いをなめてないか、イケメンをなめてないか、 歴史をなめてないか、チンパンジーをなめてないか、 微量元素をなめてないか、肥満をなめてないか‥‥。 ほんとに、なめてることは多いと思いますよー。 そしてそして、他の人をなめてないか。 特に、敵をなめてないか。 さらに、大問題は、じぶん自身をなめてないか。 どうでしょうか? ぼくは、正直言って、 それなりにいろいろ、なめていたように思います。 気をつけるようにしてから、やや、なめなくなりました。 ほんとに、なめることの弊害は、なめちゃだめですよね。 いつかの「ばかをばかにするなの歌」にも似てると思いました。 私も、いろんなこと なめたらあかんっ と、心得るのであります!!!! そしてそして、「ほぼ日」のコンテンツ「東北の仕事論。」に、昨日から3日連続で 大船渡の「三陸とれたて市場」の八木健一郎さんが登場なのです!!!!W(°o°)w 愛するせっちゃんの番組『関口知宏のOnly1』で紹介されてて、知ってた方なのですよー。 先日は、せっちゃん司会のNHKの『復興カレッジ』という番組にも ご出演されていたのです! テレビとはいえ、愛するせっちゃんを通して知っていた方だったので、 震災の時、真っ先に脳裏によぎるくらい、この方のこと、 そして漁港のみなさんのこと、胸が痛く、心配していました。 特にね、あんな夢見ちゃっていたので、大船渡や気仙沼や、たくさんの漁港のこと、 すごくショックだったのです。 八木さんのお話読んでると、水産の世界も素晴らしいな~!!って思います。 農業もそうだけど、1次産業をなめんなよっていうか、 なめてた?かも?っていうか離れすぎてた?かも?っていうか、そういうの、 気づかせてもらってワクワクしますっていうか、・・そういう感じします!! 八木さんご自身がそんなような経緯で今に至ってらっしゃる・・体現されてるので、 余計に、語られると共感しちゃうんでしょうかねぇ(〃∇〃) なんとな~~~く去年辺りから急に注目するようになった糸井さま。 この方を通して見せられるものが、私にとって大切な気が、日に日に増します。 1月25日 今日のダーリン 先生がいて、生徒がいて、 先生は答えを知っている。 そんなシチュエーションは、よくあります。 生徒は、すでに先生の知っている答えに たどりつくように学びます。 うまく先生の知っている正解を答えたら、 それが評価されます。 ほんとうは学ぶというのは、 そういうことばかりではないはずですが、 このやり方になれてしまうと、 他の「学ぶ」が見えにくくなります。 実際、社会のなかで生きていくときには、 先生も先輩も、答えを知らないことばかりです。 「きみなら、どうする?」と訊ねた人が 答えを知っているとはかぎりません。 いっしょに考えて、いっしょに試してみて、 いっしょに失敗もして、なんとか答えのようなものに たどりつくことばかりです。 さらに言えば、答えというものにしても、 「ほんとは正しくないかもしれないけれど、選ぶ答え」 であるとか、「三番目にましな答え」だとか、 「答えを出さずにそのまま時を待つ」だとか、 きっぱり正解と言えないことも、しょっちゅうあります。 でも、それが答えではあるのです。 問題さえも見えないのに、 答えを出さねばならないことも、あります。 そういうときには、問題から考える必要があります。 先生も、生徒も、ありゃしないです。 それでも、学校の答案に答えを書き込むときのように、 「正解」がひとつだけあって、それを答えることだけが 目的である、と思う人もたくさんいます。 たぶん、そういう「学びかた」ばかりしてきた人は、 いまみたいなときには、たいへんだろうなぁと思います。 ま、必死で現実の答えを探している人の じゃまになりさえしなければ、それでいいんですけどね。 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 たったひとつの正解は、「ほぼ日」にはなさそうだなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2012年01月26日 00時20分02秒
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