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人が考えていることは、文字、言葉、それに絵、音楽など
形として表現されなければ、自分にも、 ましてや他の人にわかるものではないし、 伝え、伝わることはありません。 そうした当たり前の話を、30年近く以前に、 師の城野先生から教わり、以来自分の思うこと、 考えることを毎日、書き続けています。 当て所もなく書いているのですが、 文章を書くときには、頭に「相手」がいます。 いつの間にかその人に対して書いている、 といった言い方が近いかも知れません。 そのことを強く意識したのは、メールを書くとき、 あるいはいただいき返信を書くとき、 頭に浮かんだことが考える切っ掛けになったり、 あるヒラメキが生まれたり、といったこと。 こうしたことを、しばしば体験したからです。 そのことから、文章を書くには読んでいただく相手が必要だし、 その相手を意識して書けば書きやすいということに気がつきました。 だから、私はメールを定型文で埋め込むことや、 打ち返しは、エチケット云々の問題ではなく、 場や機会を捨てることになりますからやりません。 そのおり頭に浮かんだものを、そのまま書き連ねる。 それが相手の方に関係ないことに広がったったり あるいは、長文になり目を通すにあたり迷惑になる、 と考えたときには、その部分をメールから削除し、 メモソフト箱に入れて、醗酵を待ちます。 ちなみにこの文章も、先日貰った知人へのメールの 返信の一部から、書き出したものです。 事務的、無味乾燥なメールのやりとりこそ、 私に取っては、時間の無駄、もったいないこと。 このことは、ここに何回か書きました。 また他の人に、自分のおりおり考えていること、 あるいはかねがねから思っていることなど、 さまざまな機会を通じて、自分を晒すこと この効用が、私を仕事を支えていいるのです。 自分を形にし晒せば他の方から様々なことを教わる。 こうしたことで人と人は補完関係にある、といったことも、 この晒すことから得た大きな学びの一つです。 以下蛇足。 強い表現で言うならば、 自分を晒さない人には一歩引いてしまう。 自分のことを伏せて、聞く耳を研ぎ澄ましても、 その耳には真の必要なものは入ってこないのではないか。 私はそう思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.11.16 07:23:09
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