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書きたいことをキーワードかごく短い走り書きして メモしておけば、それを見て原稿用紙5-6枚程度の文章になる。 ところがそのメモが増えすぎて、文章にするのが追いつかない。 このことに一日全部の時間をつかえのなら、 追いつけるのだが。読みたい小説、 (見たい映画→これは1年ほど休んでいる)が本箱1台分。 そこへお正月のTVの特番でもはいると、これは生鰯の刺し身。 その日に処理しなければ、せっかくの生情報を干物にするようで嫌い。 だから持っていない。 このように、なにせそのときの気分でやることを決めていくから、 その日でないとダメという以外のものは、 どんどん後回しになり積み残しになってしまう。 その犠牲の代表的なもの、新聞や小説などの 読書や締め切りが先の仕事。 塩野さんの「ローマ物語」など、 一昨年の暮やっと24巻目にはいったまま。 こんな感じで、3年前から読みさしている文庫だけで3冊もある。 新聞は、逆。干物になるのだけ読む。 すなわち、鮮度が落ちて腐るものは私には関心がない。 その報道が、後日どう動いたかという変化を読む。 だから電子スクラップを行い保管。適時、原紙は旅先の待ち時間とか、 ポケットにいれて隙間に読む。 で、まだ昨年のを、読んでいる。 でもこれは点と点の間が飛ぶほど 味が出るので、これでいい。 干物は、時間経過とともに味が出る。 ひらめき、思い浮かんだことはまさに生。 だからこれは、どうしてもその都度、記す。 ラフでもその場にメモしておいて、 後で、考えながら加筆する。 講演などでも、講師が話したことなどメモしない。 必要であれば、その人の著書を買えば済むことだ。 他者の話を聞いて、閃いたこと。自分が感じたこと 思いつき、これが私のメモらねばならないこと。 なぜならこの触発に因るひらめきとの出会いは、 その瞬間を逃すと永遠に再現できないものだからだ。 これこそ「一期一会」なのだ。 こうしたメモが私の記憶の時間軸と そして一種の磁石になって、あとから他のことが 小枝や葉っぱみたいに、これにくっついてくる。 つまりこのメモが記憶のインデックス、 引き出しの機能を持っていることになる。 だからメモを記しておかないと、 私の仕事も執筆も、すべてが止まってしまうことになる。 今、書いている原稿も、 ここブログに記したメモを起爆剤として書いているわけだが、 私にとっては、これがインターネット日記。 この日記のメモを膨らまして、 毎日、最高8、通常は3つのブログへアップ。 さらに、ときには仕事の文章へ持って行く。 昨年、眞鍋先生が主宰する行政書士の先生方の研修会で、 スクラップ作業をおすすめしたのは、そういうことだ。 新聞のスクラップ、日記、映画、プログ、小説、旅、街歩き、 それに時折のBGM(時には音楽様々、時にはラジオ、 時には落語、時には・・・・、 これらが舞台装置として存在していて、仕事上の発想が出来る。 発想がでれば、もう仕事は完成したようなものだ。 あとは指がほとんど勝手に文章にしてくれる。 友人、嶋崎喜一先生は、 「図形化できたらもう仕事はできあがったのも同然」だそうだ。 私も試みてみたが、私の場合は、図形化にかかると 発想が止まってしまうことがわかった(笑)。 私にとっての図形化は、永遠のあこがれで、 死ぬまで封印。 冥土への鹿大にすることにした。 人それぞれの得意技でいいと、若干言い訳をこめて、 そう思っています。 お話したこと。何かのヒント、きっかけになれば。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.04 09:09:19
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