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ヨブ記12章を読んで、思うこと。それは、「ヨブの皮肉に満ちた反論」のこと。ヨブの愚痴から始まった、三人の友との対話。前章の11章で三人一巡し、感情に感情がもつれ、ついにお互いに皮肉の言葉に至り、大論戦にまで発展しました。 そこで、ヨブは答えて言った、「まことに、あなたがたのみ、人である、知恵はあなたがたと共に死ぬであろう。しかしわたしも、あなたがたと同様に悟りをもつ。わたしはあなたがたに劣らない。だれがこのような事を知らないだろうか。」(ヨブ記12:1〜3) 「ヨブの苦難は罪のしるし」と、同情も無く攻め立てる三人の友。その友の言葉に対して、友情も無く失望して泣くヨブは、怒りと強烈な皮肉をもって応戦します。辛い辛い対話です。 「わたしは神に呼ばわって、聞かれた者であるのに、その友の物笑いとなっている。正しく全き人は物笑いとなる。安らかな者の思いには、不幸な者に対する侮りがあって、足のすべる者を待っている。」(ヨブ記12:4〜5) 「友よ、君たちの言い分は、まことに模範的ではあるが、そんなレベルのものは、よく分かっている。私に悟らせようとしている君たちの知恵は、死んだら終わりのようなものだ」と、ヨブは語ります。ヨブは、目の前の苦しんでいない友に対して、抑えきれない強烈な怒りが湧き上がり、皮肉の言葉が溢れます。辛い辛い対話です。 ヨブは、自分が見下されているのを感じ、苦難以上に苦しんでいます。友が友でなくなる時、正論を聞く時、「自分は人々の物笑いの対象になっている」と思い込みます。そして、ますます苦しみます。病気や逆境に陥ると、本人も周りの者も苦しみます。お互いに、軽蔑のメガネを外し、主を仰ぐことが、残された道です。 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしの目が今、あなたの救を見たのですから。この救は、あなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。(ルカ2:28〜32)
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Last updated
2018/12/10 06:29:50 AM
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