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ローマ書14章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治) おはようございます。今日はローマ人への手紙14章「人をさばくな、見下すな」です。 食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。:ローマ人への手紙14章3節 ◆要約 信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何を食べてもよいと信じている人もいるし、野菜しか食べない人もいます。ある日を他の日に比べて大事だと考える人もいるし、どの日も同じだと考える人もいます。お互いに、相手を見下してはいけないし、さばいてもいけません。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。それぞれが主のためにしているのです。生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 私たちは、互いにさばき合わず、むしろ、兄弟にとって妨げになるもの、つまづきになるものを置かないと決心しなさい。それ自体で汚れているものは何一つありません。ただ、何かが汚れていると考える人には、それは汚れたものなのです。食べ物のことであなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。あなたが良いとしていることで、悪く言われないようにしなさい。ですから、私たちは、平和とお互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。すべての食べ物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまづきを与えるような者にとっては、悪いものなのです。あなたの信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として持っていなさい。疑いを感じる人が食べるなら、罪ありとされます。なぜなら、それは信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。 設問:信仰者間の行動の違いをどう受け止めるべきか? 20字:自分で確信を持ち他人を裁かず躓きを与えない(岡崎道成) 解説として ローマ書14章は、「人々への配慮と、用いる知恵」のこと。 行為の動機が愛ならば、律法の詳細規定に関わらず、律法を成就した事になると、ローマ書13章では確認しました。 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。(ローマ書13:8) しかし動機が愛ならば、何でもいいのか。いいえ、配慮も必要になります。パウロはここに、配慮も知恵も、動機以上に重要である事を示しました。それが、このローマ書14章です。 信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。(ローマ書14:1) ここで大切なのは、「信仰の弱い者」の理解です。彼らは決して、中途半端な人たちではありません。むしろ良心が敏感すぎて、自分を責めてしまう、立派な人たちです。それは、偶像に捧げられた肉を、全て受け付けない、ユダヤ人クリスチャンに多いのです。 これらの問題は、エルサレム会議の後にも登場します(使徒行伝15章)。当時の議長である主の兄弟ヤコブが、ユダヤ人クリスチャンへの配慮として、異邦人クリスチャンに告知しています。 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから。(使徒行伝15:19〜21) (篠原利治) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/03/18 12:55:53 AM
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