|
カテゴリ:カテゴリ未分類
サムエル記下22章を読んで思うこと。それは「サウル王に追われた10年、悩み多い中で生まれた祈りと賛美、詩篇の苗床」のこと。
不条理な生活の中でも、悪い事ばかりではありません。ダビデは、神と真剣に向き合って関わり、豊かな実を結びました。この章は、サウル王に追われた10年の中で、磨きに磨かれた、ダビデの生き様と信仰が、イキイキと伝わってくる章です。 この章のダビデの歌は、ほぼ詩篇18篇と同じです。 ダビデの不動な神への信頼、神への信仰告白、そして神の恩寵を見事に讃える歌。 「わたしの強い敵と、わたしを憎む者とからわたしを救われた。彼らはわたしにとって、あまりにも強かったからだ。彼らはわたしの災の日にわたしに、たち向かった。しかし主はわたしの支柱となられた。彼はまたわたしを広い所へ引きだされ、わたしを喜ばれて、救ってくださった。」(サムエル記下22:18〜20) 憐れみにより、神に愛され、自分が神にとって「喜びの存在」であることを知るダビデ。これが、ダビデの信仰の原動力です。 この神と、ダビデの関わりは、御父と御子の関わりの雛形。私たちは、この愛の中に入れられているのです。主の愛に居れ。 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」(ヨハネ福音書15:9〜11) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/03/20 06:33:11 AM
|