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今日は、ディサービスのリハビリでした。
昼食は、かつおのたたき丼でした。ここの食事は、美味しいと、皆さんは言われています。施設によって、色々ですので。 昼休みの時に、大正15年生まれの男性とお話しましたが、貴重なお話でした。懐かしそうにお話されていて、僕も、知っている事が出て来て、懐かしく思いました。 出兵命令で、横浜市中区の集合場所に行き、検査をふんどし1丁で受けました。同じ同級生に会って、変な同窓会になってしまったとか。でも、集合日時が終戦の2日後で、解散になったようです。大変な、時代でした。 事務関係のお仕事をされていて、ホッチキスのない時代でしたので、こよりを使っていました。こよりで、文書類を、僕のいた所では、現役でした。 お若い方には、こよりは分からないかもしれないですね。いいのは、きれいに和紙を細かく寄っているものです。昔は、和紙で自分達で寄って作っていたようです。寄る時に、手を動かすだけでいいのに、口先までが曲がってしまってと言っていました。きざみタバコのキセルを掃除で使われていました。こよりの業者があります。 まだ、懐かしい物が出てきました。たいがー計算機です。これは、僕は使った事はありませんが、上司が使っていました。卓上計算機もなく。パソコンもない時代です。 ハンドルを回して、チンという音が出るものです。 アマチュア無線でも、アンテナを自作で使われている方がいました。 僕の仕事道具は、刀とか言っていましたね。そろぱんと8桁の高かった、電卓でした。ソロバンしか配備されなくて、自腹も痛かったなぁ。13000円でした。 今は、コピーはきれいですけれど、リコピーでしたっけ、青色になるものです。文書で添付した書類も青色コピー、変な臭いがしていた、薬品だった思い出があります。しばらくすると、中がよめなくなってしまって、弱りました、熱転写もそうですが、それより悪かったです。期限切れで、中古が回ってきましたが、ろくな事はありませんでした。 たいがー計算機 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年10月28日 17時23分07秒
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