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2022/02/04(金)23:24

『鈴木藤三郎と岡田良一郎』

鈴木藤三郎(1675)

『鈴木藤三郎と岡田良一郎』落合功  鈴木藤三郎抜粋1 はじめに 鈴木藤三郎は、安政2年(1855)古着屋平助の子として生まれた。5歳の時に菓子商の伊三郎の養子となり、明治7年(1874)の時に相続する。氷砂糖製造や精製糖生産を実現し、日本精製糖株式会社を設立し砂糖王などといわれた実業家であった。明治36年、37年にかけて衆議院議員にも当選し、政治家としても手腕を発揮する。実業家といえば経営手腕に注目されるが、鈴木藤三郎の場合は発明家としての手腕が評価され、砂糖のみならず、醤油醸造、製塩などにおいても重要な発明をしている。特許の数は明治31年から大正12年(1923)まで159にのぼる。また鈴木藤三郎は家を相続した青年期に報徳思想に傾倒する。実業家として大成し、日本精製糖会社を退任した明治39年には、二宮尊徳尊徳の遺著約1万巻が相馬にあることを知ると、筆生20名を雇い、満3年をかけて筆写させた。その数は9014巻、2500冊にのぼるが、それを報徳文庫として、栃木県今市町の報徳二宮神社に奉納する。 1)鈴木藤三郎についての成果は伝記を中心にした物が多い。本論では、主として以下の成果を参考にしている。 楫西光速「鈴木藤三郎」(『産業史の人々』1954年、東京大学出版会)、 山田克郎『銃眼のある工場ー鈴木藤三郎伝ー』(泰光堂、1942年)、 服部一馬「近代的製糖業の成立期における二人の『企業家』ー鈴木藤三郎と中川虎之助ー」社会経済史学会編『近代企業家の発生』(有斐閣、1963年)、 鈴木五郎『鈴木藤三郎伝ー日本近代産業の一開拓者ー父 鈴木藤三郎の一生ー』(実業之日本社、1939年)、 地福進一編著『報徳産業革命の人ー報徳社徒 鈴木藤三郎の一生』(二宮尊徳の会、2011年)、 御手洗清「鈴木藤三郎」『遠州偉人伝 第二巻』(浜松民報社、1963年)。 また報徳思想の影響を受けた実業家を紹介したものとして、村松敬司「日本近代産業の指導者と報徳」(二宮尊徳生誕二百年記念事業会報徳実行委員会編『尊徳開顕』1987年、有隣堂)

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