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瓢箪鯰のカンナ

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2006.03.08
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カテゴリ:出来事.想々
「琴になり下駄になるのも桐の運」
という川柳が先日、新聞にのっておった。

・・・・・・・・・・・


「阿と生まれて吽と死んでいくまで全ては自分自身の決断である」
といった類いの教えがある。

しかし一方で、
「何もこの家に生まれたくって生まれたわけじゃない」
...思春期の青年が親に向かって吐くようなこの手の台詞。

どうにもやりきれませんな。


戦争に行って戦った爺様はよく
「軍隊は運隊と云って、わしはどう云うわけか生き残ってしまったが、仲間は皆19、20で殆どが死んでしまった...。」
と云う。

何とも妙なものです。


私はその
「産まれてから死ぬまで全部が己の選択云々...」に賛同するが、
と同時に何かしら「運」というものの存在に諦めてもいる。

小難しい人間様の話しではなく、1本の桐の生涯に例えているので分かりが良いじゃござんせんか


「琴になり下駄になるのも桐の運」

...否、わしゃゲタで一向に構わんのよ。








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Last updated  2006.03.09 13:31:33
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