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江戸東京博物館の後に江戸NORENのれんで食事をして両国から徒歩3分の回向院へ
歌川広重 明暦3年(1657年)の大火・振袖火事の犠牲者を葬る為に創建された古刹。 その後も天変地変や人災による被害者、遊女、水子、刑死者、諸動物などありとあらゆる生命が埋葬供養されています。 天保4年(1833年)から旧国技館が出来る迄の76年間、この寺の境内で相撲の興行が行われていました。 お相撲さんの慰霊碑 3メートル位あります 奥に行くと鼠小僧と猫の墓があります! 鼠小僧治郎吉の墓の横に「欠き石」があり石を削って合格祈願や金運上昇の為に財布に入れておくそうです。 石が削られつくすと新しい欠き石が奉納され続けてきたとありました。 猫塚の由来は、説明板によると文化13(1816)年建立とあり、その後文政期(1818〜1829年)に猫の恩返し(俗にいう猫に小判)の話に結びつけられて今に伝わるのだとされています。 猫の恩返し(猫塚) 猫をたいへんかわいがっていた魚屋が、病気で商売できなくなり、生活が困窮してしまいます。 すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。 ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両をくわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。 それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。 私が行った時にはお墓には猫缶が供えてありました。 芸艸堂 御朱印帳 歌川広重 名所江戸百景 大はしあたけの夕立 浅草田甫酉の町詣 N011 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 17, 2020 08:24:23 AM
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