|
カテゴリ:滋賀県の神社
融神社(とおるじんじゃ) 滋賀県大津市伊香立南庄町1846 . . . 社殿の近くに駐車場があります。 しかし境内まで歩いてみたくなる美しい参道です。 あまり知られていない神社で、私も最近まで知りませんでした。 神社巡りを始めた頃から尊敬しているサイト、 「神奈備」さま「玄松子の記憶」さまにも掲載されていない神社です。 . . 参拝日は2020年8月16日。 実は3回目の参拝でした。 初参拝は2018年11月でしたが、駐車場に車を止めただけで 鳥居すらくぐらずに帰りました。 地元の方と思われるグループがいらっしゃったので、遠慮したのです。 2度目は2019年10月。 ちゃんと参拝したのですが、 2回ほどシャッターを押したところでまさかのバッテリー切れ。 . . ■御祭神 源融公(みなもとのとおる・右社殿) 大原全子(おおはらのぜんし・左社殿) 源融は平安時代の貴族で、嵯峨天皇の皇子。 大原全子はその母。 3度目の参拝でやっと撮影のお許しが出た形ですが、 神様から「出直してまいれ」と言われても仕方ない理由がありました。 私はこの日まで、ここを「ゆずる神社」と読んでいたのです。 ろくにリサーチせずに参拝するのはいつものことですが、 さすがに神社名を間違えて訪問することは稀です(皆無とは言い切れない)。 。 。 しかも御祭神の名を見ても、どういう神様なのかわかりませんでした。 まだまだ白状しなければならないことがあるのですが、 これ以上の露悪的な話は「裏ばなし」の方に書くことにします。 ところでこの源融公という人はどんな人物で、 どのような経緯で御祭神として神社に祀られるようになったのでしょうか。 入口付近にあった「御由緒」には、特に理由のようなことは書かれてありません。 。 。 御祭神がどんな人物だったかは、Wikipediaをご参照ください。 「源氏」だから武将ってわけじゃなくて、貴族。 左大臣にまで出世した人で、しかも美男子だったとか。 のちに紫式部が書いた「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルとも言われています。 陸奥国塩釜の風景を愛し、それを再現したとされる六条河原院を造営。 難波の海(大阪湾)から取り寄せた海水で、焼き塩を作っていたそうです。 尼崎市に源融が海水を汲んだという伝承地があるそうです。 融神社の「御由緒」には、全国で唯一「源融公」を祀る神社と書かれていますが その尼崎の伝承地にある琴浦神社の御祭神も源融公だそうです。 。 。
その六条河原院は融の死後、息子から宇多天皇に献上されたそうです。 源融公の晩年がどうであったか、 例によって藤原氏などとの権力闘争があったかなど ざっと目を通した資料から、付け焼刃的な想像しか出来ません。 しかし宇治拾遺物語などに、源融公が亡霊となって現れた話があります。 「融」という謡曲にもなっているそうです。 この神社は鎮魂のために建てられたのかも知れません。 鎮座地は源融公の所有していた荘園だったそうです。 ➡ 「龍水御朱印帳・裏ばなし」 神様からのダメだし 「出直してまいれ」 . お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.03.27 12:40:09
コメント(0) | コメントを書く
[滋賀県の神社] カテゴリの最新記事
|