■御祭神 宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)
相殿神 右座 饒速日命(にぎはやひのみこと) 布都霊神(ふつのみたまのかみ)
左座 天御中主大神 天照大神
客座 五神
主祭神の宇摩志麻遅命は、いわゆる天孫降臨の邇邇芸命(ににぎのみこと)とは別に
大和に降臨したとされる饒速日命の御子神で物部氏の祖。
御祭神で注目は「客座 五神」の存在です。
物部神社公式ホームページによれば、「詳細は不明なれど別天津神か」とのこと。
(2022年2月現在・その後のHPでは「別天津神」と明記されている)
別天津神(ことあまつかみ)とは、古事記の神話で最初に登場する神々です。
なぜ注目かと言えば、「客座五神」は出雲大社の本殿にも祀られているからです。
出雲大社は大国主命の怨霊を封じるための神社で、
別天神はその監視役だという説をよく見かけます。
しかし物部神社にもあるということは、「監視役」とは言えない気がします。
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なぜかずっと憧れていた神社のひとつでした。
しかし、なぜこの地に「物部神社」なのか。
しかも石見国一ノ宮。
大和の石上神宮、越後国一ノ宮の弥彦神社とともに
宮中と同じように「鎮魂祭」が行われる神社として有名なのだそうです。
それらはいずれも物部氏ゆかりの神社です。
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本殿は島根県では出雲大社に次ぐ大きさで、
春日造の社殿では日本一大きなものだとか。
なぜこれほど立派な神社がここにあり、なぜ「物部神社」なのか。
神社の御由緒では次のように伝えられています。
神武天皇即位後、宇摩志麻遅命は美濃、越国を平定し、石見国に入って死去した。
なるほど、そういうことか。
と、言いたいところですが、そうは行きません。
日本書紀や古事記にそういう記述はありませんし、
そうだとしてもこの地が物部氏の拠点となった理由が不明です。
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社殿裏手から「御神墓」へと通じる登り口。
今回はそこまでは行けませんでしたが、宇摩志麻遅命の墓と伝わる円墳があるそうです。
社殿が創建されるまでは、この「御神墓」のある八百山を神体山として崇めていたそうです。
社伝によれば、
宇摩志麻遅命は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、
八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。
とのこと。
神武天皇の勅命により、この地を平定したとも伝えられる宇摩志麻遅命。
しかし、この地に降臨した神のような伝承も混在しています。
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考えられるのは出雲国との関係。
出雲に関しては、古事記に神話として記されているだけですが
大和に勝るとも劣らない王国があったことは確かだと想像します。
大和に前方後円墳が造られる前の時代のものとされる四隅突出型墳丘墓。
そして弥生時代中・後期のものとされる加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡。
それらが出雲王国の存在を証明しています。
記紀に出雲王国の存在は記されていませんが、気になる記述はあります。
垂仁天皇紀に、物部十千根に詔して出雲の神宝の検分させた記述。
妄想の域を出ませんが、出雲に西から睨みを効かす存在として
石見国に物部の拠点が築かれたのかも知れません。
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神社境内については、別記事にしたいと思います。
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