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日本で初めてゴルフ場を作ったことで知られている「アーサー・ヘスケス・グルーム」というイギリス人がいる。
昔、このグルームって人に夢中になったことがあるんよね。 その時、グルームのことを調べているうちに、昨日書いた「アレキサンダー・クロフト・ショー」と軽井沢のことにも行き着いたんだぁ。 グルームの略歴の内、僕の書きたい事に関係のあることだけを簡単に書く。 1846(弘化3年)イギリス、ロンドンに生まれる。 1868(明治元年)長崎グラバー商会の社員として神戸にやってくる。 その年、大阪玉造の宮崎直と結婚。 1871(明治4年)独立し、新会社を設立する。 1880(明治13年)横浜進出のため、横浜へ居を移す。 1889(明治22年)神戸に帰る。 1895(明治28年)六甲山に別荘を建てる。 1901(明治24年)六甲山に4ホールのゴルフ場を作る。 1918(大正7年)1月9日死去。 僕は、この中での1895年の別荘建設が「日本で最初の別荘」の建設じゃないかと思ったわけ。 で、いろいろ調べてみた。 結論からいうと、グルームが六甲に別荘を建てた7年前の1888(明治21年)にショーが軽井沢にすでに別荘を建ててた。 その別荘が日本で最初の「別荘」と言われている。 グルーム贔屓の僕としては残念だったんだけど、ここから僕の妄想が始まるんよね。 グルームは1880年から1889年まで横浜に住むのだけれど、 その間の1886年から東京、横浜のショーたち外国人が軽井沢において「避暑」といわれることを始めてる。 当時、日本人には「避暑」という概念そのものがなかったんよね。 そして、1888年(グルームが神戸に帰る前年)にショーは軽井沢に別荘を建ててる。 当時の外国人社会がどの程度の規模で、どれほどの交流があったかはわからないけど、 カナダ人だけどロンドンに住み、ロンドンの福音伝道協会から派遣されてきたショーと、同じくロンドンから来たイギリス人グルームに交流があったことは充分考えられる。 それと、グルームが神戸にやって来たときの兵庫県知事は伊藤博文だった。 グルームが伊藤と親交があったかどうかは分からないけど、後の兵庫県知事とは深い付き合いをしてたみたいなんよね。 一方ショーは福沢諭吉の家に住んでたこともあり、総理大臣時代の伊藤とも、懇意にしてたらしい。 外国人社会も狭かっただろうし、共通の日本人の知人がいて、しかもそれが総理大臣だったりしたら、グルームとショーに親交がなかったと考える方が不自然だって気がしてきたんよね。 だとしたらショーの「軽井沢の別荘」にグルームも少なからずかかわってるんじゃないだろうか…? グルームも1986年、1987年、1988年の3度の夏に軽井沢に行ってるに違いない。 当時、外国人は外国人居留地内にしか土地を持つことが出来なかった。 そこで、ショーは日本人の名義を借りて、軽井沢の土地を次々に取得していき、他の外国人に譲り別荘地としての軽井沢が形成されていく。 グルームも同じ手法で、妻、宮崎直の名義で六甲山の土地を取得して別荘を建てては、 外国人の友人に譲り六甲山西部の別荘地が出来上がっていった。 このやり方を、宣教師であったショーよりも、実業家であったグルームの方が、思いついたってことは考えられないだろうか? まぁ、グルーム好きの僕の妄想に過ぎないんだろうけどね…(^^ゞ ちなみにグルームが最初に建てた六甲の別荘の近くの土の中に埋もれていた「みやさき」と彫られた石柱を僕は発見したんだ! 当時グルームが取得した土地の名義は全て「宮崎直」名義だから、その土地の境界に埋められていたものに違いない! もちろん、その石柱は誰にも分からないように、もう一度埋め戻しておいたよん(^_-)-☆
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最終更新日
2006年11月30日 03時29分05秒
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