カテゴリ:ドキュメント
昨夜10時から放送されたNHKの「その時歴史が動いた」を観たかたは居るだろうか?
よくもまぁ、あんな残虐な内容の番組を放送するよ(>_<) 松平定友アナウンサーは、仕事とはいえ、よくもこんな内容のナレーターを出来たと思う。 今回の「その時歴史が動いた」はNHKさんも力を入れてたみたいでゲストも無しで、松平さんはわざわざ長崎の長崎平和記念公園でお話をされてた。 あまり思い出したくもないので簡単に簡単に内容を書くね。 アメリカは2発の原爆を落とすための予行演習として、原爆と同じ重さで同じ大きさで普通の大型爆弾の4倍以上の破壊力を持つ超大型爆弾を日本中の住宅地に49発落としたんだ。 その超大型の爆弾は、普通爆弾ではあるんだけど原爆の模擬爆弾でずんぐりむっくりの形から「パンプキン」と呼ばれてたんだって。 つまり原爆を落とすためのモルモットとしてパンプキンを落としたんだ。 その49発のパンプキンだけで、およそ400人の人が亡くなったそうだ。 原爆をちゃんと落とすための、隊員の精神を高揚させるという意味でも大いに役に立ったんだってさ。 広島・長崎で行われた原爆実験(←あれは実験だと僕は思う)は予行演習も含めると日本中で行われてたわけだ。 日本人の命を使ってね…。 僕は今までに記事や記事へのコメントへの返事として何度か書いてるんだけど、アメリカ軍の日本への原爆投下や無差別爆撃はただの殺人事件であって戦争ではないと思ってる。 殺人事件の記憶なんか忘れ去ったほうが良いと思ってる。 戦争体験をもってる人がどんどん少なくなっていくから、ちゃんと後世に語り継がなければならないなんてことをよく聞くけど、あんなん戦争とちゃうもん! 普通の生活者を殺すなんて殺人にほかならないよ。 だってイラク戦争で病院にミサイルが命中したことを世界中が非難したでしょ! イラク戦争で子供が殺される映像が流れて世界中がアメリカを批判したじゃん! なのに90万人の日本の生活者がアメリカ軍に殺されたことがどうして戦争で片付けられるのか意味が分からない。 殺す側も地上に居て生活者を殺すと、戦争中の出来事であっても「大虐殺」なんてことになるのに、殺す側が上空という完全に安全な場所に居て、どれくらい大量に生活者を効率よく殺すことが出来るかを、あたかも研究室での実験のように安全に行うことに「戦争」という言葉をあてることができるのか、僕には理解できないんだ。 地震や台風の被害は決して忘れてはいけないと思う。 また必ず来るんだし、次に来た時には被害が少なくなるように日々思っていなければならないと思う。 僕だって、阪神大震災で落ちてしまった棚は取り外して超頑丈な棚を新たに作ったもんね。 屋根の上に立ててたアマチュア無線のタワーも台風が怖いので、おろしてしまった。 また無線を始めるときが来るだろうから残しておきたかったんだけど、泣く泣くおろした。 でもね、アメリカ軍による無差別爆撃なんかを想定して備えることなんか不可能だし、あれは自然災害じゃないからね。 自然災害じゃないのに、まるで地震か台風のように空襲体験を語るのを聞くのが僕は嫌なんだ。 焼夷弾をドーナツ状に巻きちらし、その内側に暮らす人々を効率よく焼き殺した大量虐殺事件の事なんか忘れてしまったほうが良いに決まってる。 戦国時代の戦でも一方向だけは逃げる道を残してたって言うよ。 毎年終戦記念日の頃になるたびに、こんな番組をやるのは、もうそろそろやめにしようよ。 もう忘れても良いじゃん。 ルーズベルトかトルーマンかルメイ将軍か誰が一番悪いのかは知らないけど、あんな悪魔としか思えない人たちが現れたら、もう諦めて殺されるしかないもん…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月28日 19時07分49秒
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