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テーマ:仏教について思うこと(1016)
カテゴリ:浄土真宗
以前、マスコミをにぎわした事件の一つに佐藤首相の訪米事件がある。
訪米のその日、首相官邸の前では73才になる老人が焼身自殺をはかった。 又一方では恒例の全学連が流血の騒動をくり広げた。 それは一体何の為かと問うてみると沖縄返還を求める為に米国を尋ねる佐藤首相の訪米を阻止しようとするものである。 何千人にも学生が「人類の平和と幸福」という名のもとにエンピツを角材に持ちかえ又、ノートや本をヘルメットにたくして東京は羽田に集まった。 「人類の平和と幸福」は我ら学生の手でと彼らは警官隊とわたり合ってはいるが「看板に偽あり」と古人が言った如く、私にはあの騒動は暴力とスリル、興奮を味う為の三種のストレス解消の様にしか思えないのであります。 戦国時代そのままを現代版にしたあの様な行動を見る時、いくら何千人の学生が警官隊とぶつかり合っても一個人から幸せにならなければ人類の平和、幸福は何千年、何万年たっても望めないのではないかと思われるのであります。 幸福の芽が同じ日本人、いや人間どうしが戦わなければ生えて来ないのなら、永遠に幸福が望めないばかりか幸福を求める事が即戦争の危機を求める様になってゆくのは火を見るよりも明らかな事ではありませんか。 ここに明らかになった如く、人類の幸福は外にあるのではなく自分自身の心の中にあるのであります。ではどこに私自身の心の解決を説く教があるのだろうか。 今日、日本には17万もの宗教があるが、一応「人類の幸福を」と看板はあげているがみな現世利益のまやかしものかニセモノであります。 その証拠に「私は大満足の幸福者だった」と叫んで死んでいった者が一人としてあったろうか。 板マンダラなるものを信じている者には次々と不幸が続いているとさえいうではないか。 ところがここに驚くべき事実が一つあります。 それは17万もの宗教界にサンゼンと輝く真実、大宇宙に二つとない正法、仏教のあることであります。 阿弥陀仏は末法濁世の今ここに真実の仏法を明らかにせんが為に親鸞会を結成して下されたのであります。そして善知識こそが血迷った行動へ走っている若いエネルギーを真実に向ける事の出来る世界に唯一の方なのであります。 善知識は「一人が始めなければ何も出来ない」と自ら奮い立つと共に青年部を結成して下され破邪顕正の如来の使命を授けて下さったのであります。 親鸞学徒の皆さん、共に如来の兄弟、善知識の御教えに従い信心決定の大道に向おうではありませんか。 青年部諸君よ、今年の顕正もま近い。 今一度浄土真宗の法話にて破邪顕正の最前線に立ち、如来の法力を明らかに説き示そうではありませんか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.07.11 12:00:09
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