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ちょっと本を作っています

ちょっと本を作っています

前編

下町のタイムマシーン
両国・千夜一夜物語(第一話前編)



ドクターが消えた

「おい、正助か? オレだオレ、マサルだよ。今お前どこにいる」

まったくー、配達の途中だってのに、携帯で呼び出されてしまった。

川べりの倉庫には、すでに真一も敬三も来ていた。

「いい加減にしろよな。なんだよ、急に呼び出し……」

途中で声が途切れてしまった。

いつもと何か違う。

「ドクターが消えちまったんだ。タイムトラベルに行っちゃった」

マサルがぼう然としてつぶやいた。


「なに寝ぼけてんだよ。そんなこと出来るわきゃないだろ」

「そうだよなー、出来るわけない」

傍らで敬三がつぶやいた。

真一もうなずいている。

「ところがやっちゃったんだ、あいつ」

マサルが、ガラクタを指さしながら話し始めた。

「この前オレが覗きに来たとき、もうすぐ完成だって、あいつ言ってたんだ」

「ここ貸してくれたお礼に、お前も連れて行ってやるって」


ドクターって呼んでいるのは浩二のことだ。

オレたち幼稚園の頃からの仲間の中で、成績だけは良かった。

成績だけだけど。

東大を出て、アメリカの大学でさらに勉強して、その後は大学で教えている。

と言っても、万年助教授なんだ。

五十歳半ばの今も。


「あいつさあー、大学の研究室を立ち退かされたんだ」

「そいで、ここ貸してくれって頼みに来たんだ」

「いいよって、貸してやったんだけど……」

「何とか理論を実際にやってみるって言ってたんだけどなー……」

「おいおい、お前までどうしたんだよ。しっかりしろよ」

「ああ、大丈夫だよ。そんで、タイムトラベルをやるって言ってた」

「もうすぐ完成だって」

「これがそうなんだってさ」

指さした先には、公衆電話ボックスを一回り小さくしたような物体が立っていた。


「おい、からかってるんだろ、オレたちを」

「ドクター。ドクター。出てこいよ。いい加減にしろよ。ドクター」

「どこに隠れてんだよ。いい年して、かくれんぼーなんてやるなよ」

「ウソじゃないって。あいつ真剣だったんだ。隅田川の決闘の時のように」



隅田川の決闘

隅田川の決闘とは、オレたちが小学校5年生のときの事件だ。

キッカケはオレたちの同級生の女の子3人が、両国公園で遊んでいた時に起こった。

野球をして遊んでいた隣町の小学生が友子にボールをぶつけたのだ。


「謝りなさいよ。あんたたち」

負けず嫌いの恵美が怒鳴りつけた。

「なんでそんなとこにいるんだよ」

「もっと隅っこで遊んでりゃいいだろ」

隣町の小学生が言い返したものだから、もう収まりつかなくなった。

まったく恵美は女のくせにケンカっ早いんだから。


その時、オレたち悪ガキ仲間は、近くの駄菓子屋にたむろしていたんだ。

「おっ、当りだ、当りだ」なんて、ソーダー入りのアイスキャンデーをなめていた。

「いい加減にしなさいよ」

恵美の甲高い声に誘われて、ヒョイと顔を出したのが運のつき。

止めに入ったつもりが、恵美や友子の代わりに決闘をするはめに陥ってしまった。

「おいお前ら。一時間後に両国橋の下だ。逃げるなよ」

隣町の小学生たちはオレたちを睨みつけて去っていった。


「どうしよう。あいつら6年生だろ。やられちゃうよ」

ドクターが泣きそうな声を出した。

「逃げるわけにもいかないよ。人数はこっちのほうが多いよ」

「エーッ、私たちはダメよ。女の子なんだから」

こんな時だけ恵美は女の子に戻ってしまう。

「応援したげるからさ。やっちゃいなさいよ。5対5でしょ。大丈夫よ」

自分でケンカのタネを蒔いときながら調子いいんだから。


「お腹にね、新聞紙を巻いとくといいんだって。ナイフで刺されても大丈夫だって」

どこで聞いて来たのか、恵美が鼻高々と解説を始めた。

それに、えーっ、ナイフもありなの。

聞いていないよそんなこと。

一時間後、オレたちはトサツ場に引かれる牛のように、トボトボと隅田川に向かった。

友子と静江はご丁寧に、包帯やら赤チンキなどをごっそり持ってきた。


おまけに恵美なんかもっとひどい。

骨折した時に添え木にするって棒や、歩けなくなった時にと杖まで持ってきた。

何か、楽しんでいるんじゃない。女の子たちは。

でも結果は、ぶん殴り合いにはならなかった。

「やっぱり、止めようよ」

ドクターが震える声で話しかけたのだ。

一番弱虫のはずのドクターが、いつのまにかオレたちの先頭に立っていた。


「お前ら、5年生だよな」

「マーァ、年下をやっつけたって自慢にもならないし」

「ボールをぶっけたのは悪かったしな」

えっ、なんでって思うほど簡単に、彼らは引き上げて行った。

後ろを振り返って、その理由が分かった。

恵美と友子、そして静江が鬼の形相でふんぞり返っている。

その手には、杖と添え木用の棒が握られていた。


これがオレたちの隅田川の決闘だった。

後にも先にも、あんな怖い思いをしたことはない。

隅田川の決闘はだいぶ美化されて、今ではオレたちの伝説となった。

その時、ドクターがションベンをもらした話はタブーだ。

敬三が腰を抜かして歩けなかったこともね。

いつの間にか大立ち回りをして、大勝利をしたことになっている。



タイムマシーン

タイムマシーンなるものを覗いてみたが、なんの変哲もない。

イスもなければ、映画のSFドラマのようなピカピカ光る掲示板もない。

あるのは壊れかけたようなパソコン一台だけだ。

それも今から20年以上前の箱型のようなパソコンが一台。


「これのどこがタイムマシーンなんだよ?」

「ドクターに担がれたんじゃないの?」

「これで未来へ行けるなら、自転車で火星まで行けるよ」

「こんな古いパソコン、どこで拾ったんだよ」

「だいたいこのボックスだって、電話ボックスをかっぱらって来たんだろ」

「ねえ、ともかく聞いてよ。オレの話」

「ウソじゃないよ。ホントなんだから」


「ドクターが、オレにだけって話していたんだから」

いつものクセで、髪の毛をかき揚げながらマサルは話し始めた。

もっともマサルの毛は、もうほとんど残っていない。

「オレだって信じられなかったよ」

「でも可哀想だろ、あいつ。大学を追い出されてさあ」


別にドクターは大学を首になったわけではない。

三度も続けて研究室を爆破しちゃっただけなのだ。

それも一ヶ月以内に三度も。

いくら穏便な大学だって、もう研究室は貸せないよね。

当たり前だ。

それだからオレたちの住む両国の、竪川のほとりに建っているマサルんちの倉庫を借りた。


マサルの商売は三代続いた印刷屋だった。

町工場に毛の生えた程度の商売をしていた。

でもそれも二年前に廃業した。

やればやるだけ赤字だとこぼしていた。

今では工場も売り払って、マサルはコンビニで働いている。

まあ、小さいながらも自宅はあるし、子供たちも大学を出て就職した。

カミさんとお袋さんとの三人暮らしだから、なんとかやっている。

借り手のいない倉庫だけが残ったのだ。土地は借地だけどね。


「もう少しだと言っていた。自由にタイムワープ出来るって」

「そいで、今朝電話があったんだ。四時に来てくれって。実験するからって」

「遅番のやつがなかなか来なくてさ。ここに帰ってきたのが、ついさっきなんだ」

「あいつ行っちゃたんだよ。未来に」

「どっかへメシでも食いに行ってんじゃないの? 晩飯の時間だよ、今は」

「あいつ、この一ヶ月どこへも出かけてないんだ。一歩も」

「ほら、寝袋。それにあいつ金がなくてさ、オレが毎日売れ残りの弁当を届けていたんだ」

「靴もサンダルもぜーんぶ残っているよ」

「それだけじゃなあ。なぜタイムワープしたって思うんだよ。証拠なんかないだろ」


「見てよコレ。ディスプレイの表示が2015年だよ」

「さっき見たとき気がついたんだ」

「どうだかなー。狂ってんだよ、最初から」

「ドクターはオレに、十年後の世界を見ようって言ってたんだよ。今朝の電話で」

「追いかけようよ、オレたちも」

「あっちの机の上にあいつのメモが一杯あるよ。手掛かりもあると思うよ」

山と詰まれた紙くずの山を、みんなで引っ掻き回してみた。

「何だよコレ。数字ばっかじゃん。分かんないよコレじゃ」


「父ちゃん。なにしてんのよー。配達はどうしたのよ」

いけね、うちのカミさんだ。

「関さんから、まだかって電話が入ったんだよ。サボってんじゃないよ、みんなで」


「恵美、いいとこきた。手伝ってくれよ」

真一がうちのカミさんに声を掛けた。

そうなんだ、うちのカミさんは恵美。

小学校からずーっと一緒なんだ。

「あんたは、私と結婚しなきゃならないの」

30年ほど前、ある日突然呼び出されて、最後通告された。


手も握ったことがなかったんだよ。

二人でデートしたこともなかった。

家がすぐ近くだから、そりゃ毎日顔は合わせていたけどね。

みんなで酒を飲むときも、恵美が床の間を背にして座り、オレは入口近くだった。

「なんで?」

「いいの。私、決めたの。結婚してあげようって」

「ダメなわけないでしょ。あんたも嬉しいでしょ」


どういう理屈か知らないが、いつもこんな調子なんだ。

小学生の時から、五十代半ばになった今でも変わらない。

略奪され結婚と言うか、勝手に女房になったというか、拒否権をはく奪されたというか。

気がついたら夫婦になっていた。

おっと、今はそんな話じゃない。ドクターを探さなきゃ。



マサル、十年後へ行く

「なに寝ぼけたこと言ってんのよ」

なんて言っていた恵美も、ゴソゴソあちこちを探し始めた。

「どこ見てたのよ。ここにあるじゃない」

恵美の声で、みんなはキテレツな電話ボックス、もといタイムマシーンに集まった。

オンボロパソコンの横に紙が貼り付けてあった。

『マサルへ。操作方法。後から来るなら、以下の手順で入力のこと』

数字とアルファベットが書き連ねてある。


「おい、どうする。やってみるか」

敬三の一言に、みんなが顔を見合わせた。

「いやーあ、ボクはちょっとー、明日から出張なんだ」

「社運がかかってんだよ。それにほら、ボクはチームリーダーだし」

ワケの分からないことを言いながら、真一が後ずさりする。

「これ、マサルにあてた手紙でしょ。いいの、マサルが行けば」

またまた恵美が判決を下してしまった。


「おい、弁当ぐらい持っていけよ。期限切れのコンビニ弁当」

「魔法瓶にコーヒーを入れてこようか」

「タバコもワンカートンぐらい持っていったほうがいいな」

「懐中電灯は? 寝袋はどうする?」

「着替えも必要なんじゃない。向こうが、夏か冬か分かんないよ」

みるみる真っ青になっていくマサルを背に、鳩首会談が始まってしまった。


本人がいいともダメとも言わないうちに、すべてが決まってしまった。

「はい。行ってらっしゃい」

恵美の一言には、マサルも逆らえないのだ。


タイムマシーンの中央にマサルが立って、敬三の読み上げるキーを叩いていく。

むき出しの天井から吊り下げられた蛍光灯が心なしか暗くなったようにも思えた。

ディスプレイがいやに明るく点滅を始め、キュンキュンとリズミカルな音を立て始めた。

その時だ、マサルの周りに青いカスミがまとわりついたかと思うと、フーっとマサルがかき消された。


「何だよ! 何がどうなったんだ」

「どうした。ちゃんと見てなかったのか」

「だってまだ、半分ぐらいしか打ち込んでいないよ」

「マサルはどうなったんだ」

「読み方を間違えたんじゃないか?」

「ドクターも、マサルも、もう帰って来ないのかな」

敬三と真一がキョロキョロ見回しながらブツブツ言っている。


「読み間違いはしないよ」

「でもまだ半分しか入力してないよ。おかしいんじゃないコレって」

「マサルはそそっかしいから、打ち間違えたのかな」

暗号のような数字とアルファベットを羅列したメモ用紙を、みんなが覗き込んだ。



マサルの生還

「マサル、未来へ行く途中で、引っかかってんじゃない」

「しょうがないわね。いいわ、残りは私がやったげる」

恵美がタイムマシーンに乗り込んだ。

「おい大丈夫か」

いくら尻にひかれている亭主だって、一言ぐらいは優しい言葉が出てくるものだ。


「いいのいいの。マサルが成仏してなきゃ、可哀想でしょ」

恵美はマサルを幽霊にしてしまった。

「まったくもー、みんなじれったいんだから、モタモタしてて」

「こうなりゃ、やるしかないでしょ」

「やればいいじゃない。最後まで」

「いいわよ。読んでみて」

敬三の読み上げる数字とアルファベットを恵美が打ち込み始めた。


キーンという金属音と共に、紫色の光が恵美を包んだようにも見えた。

その時だ。

タイムマシーンに異変が起こったのは。

「キャー。止めてよ、イヤらしい」

敬三が読み終わるか、終わらないうちに、恵美の叫び声が聞こえた。


あれー、マサルが恵美の腰にしがみつくようにして、しゃがんでいる。

「ちくしょう。いいとこだったのに」

「何よ、いやらしい。あんたってそんな人だったの」

「どこに隠れていたのよ」


マサルと恵美が、タイムマシーンから転げ出してきた。

「どういうつもり。いい加減にしなさいよ。マサル」

「違うよ、違うよ。オレだって恵美みたいな丸太棒、抱きたくないよ」

「何だってー。もう一度言ってみなさいよ」

恵美にバシバシ叩かれながら、マサルが倉庫中を逃げ回った。

「もう止せよ。何があったんだマサル」


「十年後だったよ、あっちは」

「行っちゃったんだよ、未来へ」

「一週間ぐらいかな、向こうに居たのは」

「ドクターは居なかったよ。探したけど」

「あっ、正確じゃないな。ドクターは居たけど、十年後のドクターだった」

「十年後の正助もいたよ。真一も、敬三も」

「えらいデブになった恵美もいたなー」

「何よそれ」と言いながら殴りかかる恵美を必死で押さえた。


「不思議なんだ。十年後のオレは居なかった」

「死んじゃったんじゃないの。ご愁傷さま」

恵美はまだぶんむくれている。

「違うんだ。オレが十年後に現れる寸前まで居たらしいんだ」

「オレがベッドで目醒めたら女房が、髪の毛が伸びたって驚いていた」

「入れ替わったみたい。オレが向こうへ着いた時」

「じゃあ、十年後のマサルって、今より髪の毛がないんだ。ツルッパゲ?」

女の恨みは怖い。まだ抱きつかれたことを根に持っている。

「ともかく座ろうよ。マサル、聞かせてよ、何があったんだ」



十年後のマサルの場合

「オレ、墨東病院に入院していたんだよ、一ヶ月も」

「意識不明の重態だったらしい」

「オレが起き上がったら、えれー騒ぎになっちゃってさ」

「もうダメだって、医者も言っていたらしいんだ」

「起き上がっただけじゃない。髪の毛は生えているだろ。歩くだろ」

「女房なんか、腰を抜かして座り込んじゃってさー」

マサルは遠い昔のことのように、十年後の話を始めた。


オレが目を覚ましたときには、ドクターと恵美も横にいた。

あー、このドクターって、お医者さんのことじゃないからね。

小学校からのオレたちの仲間、浩二のことだ。

大学の助教授で、仲間内では小学生の頃からドクターと呼ばれていた。

「マサル、なんで、なんで、なんで、生き返ったんだよ」

オレ、何か悪いことでもしたのかなと一瞬思ったが、思い出した。

オレ、十年後へ飛んできちゃったんだ。


「オレ、どうしたの?」

「覚えていないのか? 交通事故に遭ったの」

「おまえ、馬車通りでクルマに撥ねられたんだよ」

「自転車で飛び出したのはおまえのほうだけどな」

「そうよ。相変わらず、どうしようもない馬鹿なんだから、マサルは」

恵美の口の悪さは十年後も変わっていなかった。

でも、おかしい。

十年前にオレが十年後へワープしたのを知っているくせに。

それに、ドクターだよ。


「ドクター。今、2015年だよね」

「そうだよ。それがどうしたの?」

「2005年に、タイムマシーン作ったろ? オレんちの倉庫で」

「んーん。いろんなもの作ったけどタイムマシーンなんてあったっけ」

「ボクの作った毛生え薬が十年も立って効くなんて思わなかったけど」

まじまじとオレの頭を見ながら、感極まった表情をしている。


ダメだこりゃ、話にならない。

「マサル。一ヶ月も寝ると、若返るんだね。私もいっぱい寝なきゃ」

恵美のやつ、正助が出掛けるときでも寝ているくせに、何を言い出すか。

それにしても恵美、太ったな。

もともとガッシリしていたけど。

これじゃオレんちの近くの大島部屋の相撲取りだって、見劣りしてしまう。

もういい。何を話してもダメみたいだ。

それに病院なんていたくない。


全部検査しなきゃダメですよ、という医者の言葉を振り切って病院を逃げ出した。

医者も、オレがここへ担ぎ込まれてすぐに、回復見込みなしと断言してしまったのだ。

その患者がピンピンしているんじゃ、何も言えない。

息子の耕太が乗ってきたクルマに乗り込んだ。


「オジイちゃん。大丈夫」

後部座席から小さな娘が抱きついてきた。

「おー、カワイイお嬢ちゃんだね。どこの子」

「お父さん大丈夫ですか? あたま大丈夫ですか?」

どうやら、この子はオレの孫らしい。

「あー、大丈夫だよ。ちょっとほかのことを考えていたんだ」

危ない危ない、すり替わったのがバレそうだ。

ウーン、でもそれもおかしいか。

自分が自分にすり替わるなんて。



年寄りばっかなんだからー

オレ、十年前に帰れるんだろうか。

急に不安になってきたのは、二日ほど過ぎてからだった。

「十年前とどこが変わったの」なんて聞けないから、それとはなしの雑談で知るしかない。

女房や息子たちの話を総合するとだな。えーと。

来年から、中学校と高校の授業が英語になるそうだ。

国語の授業以外はすべて英語。

法律でそのように決まったんだって。

英語と日本語が、公用語なんだって。


今ではどこの幼稚園も、小学校も、英語は必須科目になっている。

幼稚園もだよ。

保育園でさえ保母さんが、「グッドモーニングベイビー」なんてやっている。

冗談じゃないよね。

そのうち孫たちと話すのに、通訳が必要になってしまうよ。


でも、それよりショックだったのが、みんなの変わり具合だったんだ。

以前と変わらず、正助も、真一も、敬三も、ドクターもいる。

でも年寄りくさいんだよ話が。

孫の自慢話に、年金の話、あとはせいぜい隣りの猫が子供を産んだ話ぐらいだ。

たった十年で、こんなに世間が狭くなるんだろうか。

もともとオレたち五人とも、この界隈で生まれて、そのまま今までここにいた。

だから世間知らずのまま、ちんまりと生活してきたから、話題だって豊富とはいえなかった。

でも何か違うんだね。十年前と。


「おい、旅に出ようぜ、旅に」

急にオレがそんなことを言ったものだから、シーンとしてしまった。

実はみんなには言えなかったが、十年後の日本を見てみたかったのだ。

それで、みんなを説き伏せてしまった。

どうせみんな年寄りばっかだ。

たいした仕事もやっていない。

真一が、「でも会社のほうが」「会社のほうが」って言っていたけどね。

「辞めちまえ、そんな会社なんか」と正助が口を尖らした。

そうしたら、「そうだ、そうだ」と衆議一決してしまったのだ。


敬三は定年で次の仕事を探していた。

でも、ない。あるわけない。

ドクターも定年で、ヒマを持て余して本ばかり読んでいる。

正助は息子に仕事を奪われてしまった。

配達は高校生になった孫がやっている。

あー、オレ? 交通事故の後、コンビ二は首になった。

戻った時には、高校生の女の子に仕事を奪われていたんだ。


「長野がいいんじゃない。新緑の季節だし、温泉に行こうよ」

正助に言われて今が五月だと気がついた。

カレンダーは見ていたんだけどね。


山手線から見下ろすアメ横は以前のままだった。

でも、上野駅は見違えるように変わっていた。

十年前の面影なんてどこにも残っていない。

そういえば十年後の東京には、高層ビルが増えた。

でも上野駅ほどには変わっていなかった。

そうだな、特別変わったことと言えば、電信柱がまったく見当たらないことかな。

歩道も広がって街路樹もいっぱい生い茂っている。

公園も増えたみたい。

それとクルマの騒音がまったくしない。

シューっという軽い摩擦音だけを残して、クルマが通り過ぎていく。


でも、ヘンなんだよ。

腕時計が携帯電話に代わっている。

みんな腕時計に向かって話しかけているんだ。

相変わらず携帯電話で話しながら歩いている人は多い。

どのようにして聴くかだって? 

骨伝導とかの技術を使っているから、スピーカーもイヤホンもいらないんだ。

だから携帯電話の着信音もまったく聞こえない。

電話を受けた本人だけに聞こえているんだ。

そんなことより、一番変わったのはオレの後ろを付いてくる年寄り四人衆だよ。

これじゃ老人会の旅行だよ。

もっとシャキっとしてよ。シャキっと。


新幹線の車両もチョットは変わった。

でもこれもチョコットだけ。

オレたちのいた十年前で、ほとんど完成形に近かったのだろう。

すごく変わったことといえば、外人さんが一杯いることかな。

そう言えば、オレの入院していた墨東病院の看護師さんも外人が多かったなあ。

どこへ行っても、すれ違う人の半分は外人さんだ。

自由貿易協定ってのが五年ほど前に結ばれて、ドっと外国人労働者が入ってきたみたいだ。


そんなこんなで信州にたどりついた。

白骨温泉だよ。

こちらも十年前とは、さほど変わっていない。

もっとも十年前の、さらに十年前に来たのが最後だったけどね。

「芸者さん呼ぼうよ、芸者さん」

みんなは、エーって言ったけど、仲居さんに声をかけてしまった。

「その前に、温泉、温泉」っと。

ここの温泉、今は本物だろうね。

入浴剤なんて入れていないだろうね。


「コンバンハ。お呼び頂いてありがとうございます」

料理がズラーっと並んで、ワイワイと飲んでいたら芸者さんがやってきた。

おいおいチョット、みんな外人さんだよ、この芸者さんたち。

「ワタシ、アメリカからキマシタ」

「ワタシ、フィリピンね」

「ワタシは、ドイツ人です」

「ワタシ、コロンビアです」

これじゃオリンピックか万国博覧会だよ。


「民謡唄いマース」

「踊りダイジョウブです」

「まあドウゾ、一杯」

「オナガレ頂戴デキマスカ」

「ワタシ、日本ノ文化ト歴史ヲ勉強シテマース」

「アナタ、都々逸唄エマスカ」


いいね、こりゃ。

日本女性よりよっぽど日本的だ。

うちの女房や恵美に見せてやりたいね。

爪の垢でも煎じて飲めって。

それに、オレだけがもてるんだよ、ホント。

だってオレ以外は年寄りばっかなんだもん。

久しぶりのヒザ枕っていうか、女房にもやってもらったことのないヒザ枕。

ウチワで、そよそよと風を送ってもらって、ほろ酔い気分でいたら……。


何だよー! 

どうしてここで呼び戻すんだよ。十年前に。

それも目の前にいたコロンビア人の芸者さんが、おっかない恵美に変わっている。

こりゃないよ。



後半へとつづく


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