秋に3日ほど有給をもらった。前後あわせて4泊6日となるアメリカ、ニューヨークの旅をした。この旅は決して楽しいものではなかった。自分探しの旅であり、チャレンジの旅だった。10月はじめNYにあるメトロポリタン歌劇場からオーディションの招待状をもらった。何年かぶりのオーディション、何を勉強したらいいのか昔の資料から出してみてもう一度勉強することにした。連日続く音楽教室の本番会場で米国における著作権法を勉強し、楽器の特性などを勉強した。一日が36時間ぐらいあればいいのにと毎日思い、夜が来るのが怖い日々が続いた。夜になると「今日は一体何ができたのか?大丈夫だろうか?」などと思うからだ。毎日のカウントダウン、そして一日、そして一秒が大事であった。オペラ劇場ならではの特殊なスキルも大切だがここはもう自分の歴史に頼ることにした。約9年前にはこのオペラ劇場にて研鑽をつんだことは役にたっている。オーケストラが演奏旅行に出ている間に私はNYに行き、ベストを尽くす。楽しみもあるが半分以上が恐怖である。いざ飛行機に乗り込み到着してホテルに向かう。懐かしい地下鉄をすいすいと乗り継いでブルックリンにあるホテルに到着したのが夜7時頃だった。一日の時差をうまく利用して睡眠をとりたいのだが緊張で眠ることはできなかった。滞在中4日間はまともに睡眠をとることはできなかった。この緊張をふとなくしてくれた曲が音楽教室の演奏会で聴いていた「世界に一つだけの花」のワンフレーズ。オーディションはたった1人を選ぶ、そしてこの歌の中で出てくる♪~ナンバー1にならなくてもいい、もともと特別なonly one~♪この一言がほっとさせてくれた。私もonly one でいいかもしれないとも思った。No1になることほど大変なことはない。この曲のおかげで肩の力がどっと抜けて自分に対してのチャレンジと形が変わっていった。そしてオーディション当日、集合時間の10時に行くと沢山の見慣れた顔が、、、、、若い人からキャリアを持った人まで沢山いる。そしてイタリア人、日本人の私を含め合計19人のチャレンジが始まった。まずはペーパーテストで1冊の本になっているものを書き込んでいく。どんどんしていくがわからないところは全くわからない。勿論のことながら法律の問題から楽器の問題、オペラの詳細に至るまで細やかな問題が沢山ありできたのは3時間後だった。食事をとるのも忘れて問題をといた。その後は面接試験に入っていく。この面接が終わったのは5時頃だった。多分であるがこの面接でyes,noがはっきりと言い渡されていたのだと想像している。その中で私は「ちょっと話し合いをしたいので結果はホテルに電話する。」などという空中に浮いたような答えをもらった。その夜には用があったので明日に出直すと言い渡してその場を去った。結局、次の日に歌劇場にむかい「今回は残念だった。」という結果を言われた。次はファイナルのオーディション、何度か仕事場に来てもらって皆で仕事をする。そこにはいろいろなことで入ることは出来なかった。またNYフィルに続きセミファイナル。いくらセミファイナルでも気分はファイナリストに近い。よく勉強したし、悔やむこともない。まさしくonly one である自分を見つけ出したようである。