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テーマ:ミニマリスト
カテゴリ:ミニマルに暮らす
ものすごい「心配性」でした。
まだ起こってもいないようなことを、どんどん、次々、心配するのが大得意でした。 「ゲリラ豪雨の中でのお葬式」を心配し、それ用の長靴を持っていたり、 「突然の家庭訪問の開催」を心配し、茶托付きのお湯のみを持っていたり (家庭訪問のない小学校でした) 「土砂降りの入学式」、「大雪の卒業式」、心配から生まれる妄想はとどまることを知らず、 心配を作り出してはそれ用のものを買って備えてしまうせいで、 ものは、どんどん増えました。 ![]() 使う目的のある「缶もの」は、その目的に適った商品をあらかじめ選ぶようにしています。 ************************************** 服や靴が増えてしまったのも、そう。 これじゃ足りないんじゃないだろうか。急なお呼ばれの時に困るじゃないか! と。 起こりもしないパーティーや会食の席を想定したワンピースやバッグは、いつも準備万端だった。 実際には起こらないですから、結局1回も着ないんですけど、ね ( ´▽`;) 起こりもしないことの準備はしているのに。 異常なほどしているのに。 いつか必ず起こることの方の準備をしていないことに、呆然となった。 もっとずっと生きていてくれると思っていた父が、13年前、66歳でこの世を去った。 今日は、父の命日です。 ![]() 何度もリピートしているこの「DEAN&DELUCA・ペパーミント」の缶の中身は・・・ 急なパーティーなんて、起こらない。 一方、「死」は。 いつか必ず訪れるのです。 例外なく。 楽しかった思い出や記憶は、残された人の心の中の「宝物」で、一生の支えになる。 しかし、残された思い出の「もの」は・・・ 時にひどく残酷です。 「遺品の片付け」という作業は・・・遺族の心を、元気に励ましてなどしてくれないのです。 顔を上げて、前を向いて生きとゆこうとする遺族を・・・ ひたすらに うつ向かせる作業。 そう。 「心が滅入る」 のです。 **************************************** わたしがたくさんのものを捨てられたのは。 比較的若い年齢で「遺品整理」を経験したこと。 実家をたたんだこと。 これをなくしては語れないところがあります。 人は、死んでしまうんだなあ、何も持ってゆけないんだなあ、と本当に、ちゃんと感じたこと。 **************************************** たとえば自分がこの世からいなくなって、 自分の大量の持ち物を誰かに見られるのは、ただそれだけでも恥ずかしいのに、 それを誰かに片付けさせるなんて「絶対に嫌だ」と思った。 悲しかったから。 とても暗く悲しく滅入る作業だったから。 これを残った家族にさせるのかと思ったら・・・わたしは死んでも死に切れない。 **************************************** 楽しく生きるためには、ものすごくたくさんのものが要ると思ってた。 でも、意外とそうでもなかった。 総数がどれほどたくさんあろうと、「お気に入り」のものの数って結局は同じで、 じゃあ、もう「お気に入りのものだけ」持っていたらいいじゃないか。 いっぱいは、いらないじゃないか。 布団、布団、とわたしがやらたと布団にこだわるのも、 布団は、残されて困るものの中でも とても「上位」に位置すると あの時感じたからです。 大きな布団を捨てるのは、遺族が年老いていた場合などには特に、本当に大変なことで。 溜めてしまって、いつかまとめて捨てることは本当にしんどいことだから、 毎年使いきって、自治体のルールに従って、小さく丸めて、わたしは、自分で、捨てる。 他の誰かにそれをさせたくはない。 大変なことを、押し付けたくはないのです。 ************************************** いつか自分がこの世を去ることよりも、 急に呼ばれるかもしれないパーティーの方が 大切で心配だったなんて、ね(笑) ずっと自分は元気で生きていられて、パーティー行くつもりでいたのかな。 **************************************** たとえ命があろうとも、自分の体が思うように動かなくなることだって、 いつ突然そうなってしまうかは、誰にもわからないです。 老後の2000万円のことはみんなすごく心配するのに、 自分の遺品の「片付け」のことは、なぜかどうにかなると思っている。 災害だって、病気だって、何%かの確率で 自分の身に降りかかる。 けれど「死」は、確実だよね。 例外なく100%だよね、って、前向きに、思ってる。 今が、元気だから。 健康だから、そう思えるのです。 本当にどこかが弱ってしまってからでは切実すぎて 自分に訪れるであろう「死」を。 明るく前向きに捉えるのは、とても難しいと思う。 だから、今だ。 1日でも若いうちに。 そう思って、捨てた。 強い意欲を持って捨てることができた。 よりよく生きるために、という意欲。 ![]() 貧血用の鉄剤です(笑) うっかり誰かが食べないように、自己管理しています。 ************************************** 「死ぬ」「死ぬ」って、いつも物騒で御免なさいね。 けれど、永遠の命を持った人なんて、この世には、いないでしょ? わたしは、立派なことは何一つできなかったけれど、 ついにわたしの「最期」の時が来て、お迎えがいらして、三途の川を渡って・・・ この世に残った「わたしの遺品」が・・・ まじこのつづら1個だけなの!? マジで!?!?!? って 遺族を沸かせる(笑)ことができたら・・・・・ それって最高だ ヽ(;▽;)ノ !!!! と、真剣に、思っているわけです。 ************************************** 父がわたしに教えてくれたことは たくさんたくさん あるけれど、 人は、準備なく 急に命が終わることも あるんだよ、と。 これ以上の教えが、果たして、あるのかな。 「もの」の後始末のことだけじゃない。 1日1日の、今日という日の大切さ。 命のありがたさ。 一期一会。 そこに、全てが、詰まってる。 死んでしまってから気づいたって、もう、何も、本当に何も、何も、できないのです。 「誰にも見られたくないもの」を もしもあなたが今持っているとすれば・・・ それは、絶対に、自分で捨てたほうがいい!(笑) **************************************** 毎年、こんな気持ちになる、2月28日。 今、突然自分がふっと消えてしまっても、 この家の中には、誰かに見られて恥ずかしいところは、一つもないです。 わたしの「遺品」の片付けは、1時間そこそこもあれば、きっと済むだろう。 そう感じなから生きていることが、幸せ。 そう感じなから「生きる」ために、わたしは片付けた。 死ぬために片付けたのではないのです。 わたしが死んだら、このたくさんの服・靴・バッグ・食器・布団・本・アルバム・・・ 一体、誰がどうするんだろう。どうなちゃうんだろうという「心配」を、捨てることができた。 この「心配」は 「突然のパーティー」なんかよりも、はるかに現実的で、かつ まともな「心配」だ。 わたしは今。 世の中がどんなに騒がしかろうと。 人生の中で いちばん「安心」して 暮らしている。 ***************************************** どうしたら捨てられるようになりますか? と もう何百回聞かれたかわからない。 とくに「思い出のもの」。 思い出のものこそ、自分で捨てて欲しい。 自分が捨てなかったら、誰が捨てるの? その辛い仕事、一体誰に押し付けるの? とても冷たい言い方になってしまうのだけれど・・・ 心から、そう思う。 いつかそのうちやればいいわ。 そう思っているのかもしれないけれど、 人は、準備なく 急に命が終わることも あるんだよ。 それを「確かに!」と思ってくれる人と、「またそんな大げさな・・・」と思ってしまう人と。 きれいに分かれてしまうのは・・・ 仕方ないこと、なのかもしれないね。 おわり 今日も読んでくださって、ありがとう。 にほんブログ村 たくさんポチッと「来たよ」を知らせてくださって、すずひは 毎日びっくりしています。 本当にありがとうね ( ´▽`) ↓ 「防災用モバイルバッテリー、ケーブル一式」を収める名目で、 この缶を買ってもいいですかー? ヽ(;▽;)ノ
最終更新日
2020.02.28 14:21:56
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