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テーマ:オシャレ大好き
カテゴリ:ミニマルに暮らす
花粉は。
とくに「スギ花粉」は、さ (;_;) 実は空気中に飛散するあのウイルスを 自らの粒子でもって絡めとって 一瞬のうちに無効化させることができるのだ!とか。 もしもそんなすごい特技を隠し持っていて それが 今・・・ 今こそそれが証明されたとすれば。 ついに日本中の人々から愛されるチャンス! 世界中の人々から求められる大・大チャンス!!! なのにね。 ああ、花粉よ (;_;) そして 大好きな彼女に、私信! くらためちゃん、夢の在宅勤務の実現、おめでとう!! うれしい!! ヽ(;▽;)ノ すごいー!! ![]() さて。 急なお出かけやお呼ばれに着る服がないことを、 多くの女性はとても恐れているところがあると思います。 わたしは恐れていました。 「急なお呼ばれ」は「急の来客」と同じで、 わたしの場合、振り返れば20年近く全くないのだ、ということがわかっているのに それでも恐れていました。 けれども。 いざという時のためにあらかじめ買って、 大切に大切にしまいこんでおいたそれらの服は、 とっておきの一張羅であろうと、 たいそうお高かったものであろうと、 試着以外に1度も着ることのないまま、 ほとんど「新品」のまま、 音もなくそっと、 ようやく日の目を見るころには、 残酷なほど似合わなくなってゆくのだ、ということを知りました。 無理もないことです。 服が永遠に「買った日のそのまま」であることに対し、 わたしだけ、日に日に老いてゆくのですからね。 おーん ( ;∀;) ![]() 「急なお呼ばれ用の服は絶対に必要だ。」 それは雑誌の特集だったこともあるし どなたかのSNSの発信の中だったこともあるし ちょっとした会話の中で、ということもあるし。 見えない何かに煽られるようなあの感じ、 あの不安って、なんだったのだろう。 手元にないことや足りないことで、本当に困るのは。 「急なお呼ばれ着」よりもむしろ、 実際には圧倒的に「日常着」の方、なのに、ね。 わたしたちの人生のほとんどは、「日常」なのですもの。 ![]() 大好きなワンピースは、わたしにとって日常着。 大きなリボンも後ろなら、家事や動作の邪魔になりません。お財布も後ろに回して斜めがけ。 ↓ かわいい! 小さい斜めがけバッグ、いろいろ ( ´▽`)ノ *************************************** せっかく気に入って、せっかく買った服なのなら、 あなたの、わたしの日常の中で、 せっかく似合っている今のうちに、 1日でも若いうちに、 たくさん、うれしく、着てしまおう ( ´▽`)ノ ************************************* こんなことを言ってしまっては身も蓋も無いのですが。 こと「ライフスタイル」や「ファッション」の提案において、 自分ではない人のなさっていることや言っていることって、 実のところ、あまり参考にはならないのです。(え!) ライフスタイルの答えは。 ひとりひとり みんな 違う。 ものすごく違う。 多少似ていることや共通点があったとしても、 「同じでいい」ということは、まずあり得ないのです。 自分のやり方みたいなものを掴み始めますと、 すぐにそのことに気づきます。 「なぜ真似ごとばかりしていたんだろう」と。 少ない服での暮らしが、 自分にとっての「ふつう」になってくると、 過剰な不安も、他者からの影響も、 今までありがとう。 けれど、もうわたしには必要ないよ ( ´▽`) そんな日が、ある日突然やってくる。 自分だけのストーリー、自分だけの人生が、 ここからいよいよ始まるのだ!というあの感じ。 ![]() お支払いの時だけ前にもってきます。お財布ポシェット歴5年。本当に快適な手ぶらのお出かけ。 ↓ かわいい! とっても小さい斜めがけのお財布。 いろいろ ( ´▽`)ノ *************************************** ブログというツールは、だから。 公に認められた「自分語り」の絶好の場、なのかもしれません。 自分で自分自身の日常を語ることでこそ成り立つ世界。 「#隙あらば」 「#自分語り」 っていう、まさにアレですね ( ´▽`) ♪ 他者のことを語っていたのでは続かないのです。 自分を語らないことにはなにも始まらない。 簡単なようでいて、 これは意外と勇気のいること。 どう感じ、どう伝えるか、自分を試されること。 けれど、とっても楽しいこと。 日常の中で感じたことや気づいたことを こうして文章にしたためることが わたしはとても好きです。 なんて申し上げたらいいのかな、 たとえばね、 自分のことをいつも後回しにしてしまったり、 悲しいことを悲しいと言えなかったり、 辛いことを辛いとも言えなかったり、 嫌なことを嫌だ!とさえ言えないような、 自分の気持ちや感情に 無意識にフタしてしまうような癖がある場合、 それがとても苦しくて、 直したいのになかなかうまくゆかないよ、という場合。 「自分のことを文章にして語る」という行為には、 そこを徐々に修正してゆくような ちょっと「セラピー」みたいな力があるように わたしは日々常々感じているのです。 思いを文章に、まずは一気にしたためる。 ゆっくりと読み直す。 そうじゃない、いやこうじゃない、と書き直す。 それを繰り返すうち、 感情の軌道みたいなものが修正されるのか、 自分の心の奥に隠された「本当の気持ち」に しっかりとたどり着くような実感があるのです。 だから。 もしももっと自由になりたくて もしももっと心を軽くしたくて、 そして、もしももっともっと自分の「本当の気持ち」を大切にしてゆきたいと思うのなら ブログ書くと、いいよ (笑) ![]() 自分の持ち物を。 少ない持ち物の写真を 心を込めて、こうして撮ることも大好きです。 読み手としての立場からも、そこは全く同じ気持ちで、 ご自分の暮らしの一部を、心を込めて撮影をする気持ちがわかるからこそ、 「写真のきれいなブログ」を読むことが、とても好き。 写真もまた、 書き手さんの気持ちの込められた「メッセージ」なのだ、と わたしの心が知っているから。 じっと見入ってしまいますし、 その方の発信を、とても応援したくなるのです。 ![]() ちょっと肘をひっかけて休んだりもできます。ストラップの付け根を傷める、わたしの悪い癖・笑 *************************************** 暮らしを変えたい、整えたい人というのは 本当は「自分を変えたい」「自分を整えたい」のかもしれません。 変わることは「進む」ことばかりではなく 「戻る」ことも、時に、とても素敵なのです。 いろんな影響受けたり、 何かを目指しているうちにすっかり苦しくなってしまった自分を、 元どおりの自分に戻す。 ということ。 古い思い込みや余計なもの、 あなたを苦しめるものを勇気をもって手放し、 本来の自分らしさに立ち帰る、ということ。 ************************************** ものの少ない暮らしには。 どこか生まれ変わったような、 積年の理想を叶えたような、 とても「新しい生き方」だと感じるのと同時に、 なぜか懐かしいような、 何かから許されたような、 この感覚を本当は、ずっとずっと昔から知っていたような・・・ そんな「居心地のよさ」があります。 この不思議で身軽な「心地よさ」「安心感」は、 誰もがなにも持たず、体一つで生まれてきて。 誰もがなにも持たず、魂になってあの世へ旅立つ。 ふたたび生まれる前の世界に「戻って」ゆく。 それが人間の真実であることを、 ただ一人の例外も起こりえない真実であるということを、 ときどきちょっと忘れちゃうことがあっても、 本当は全ての人が、 心の奥深くで本能的に知っているから。 いえ「遺伝子レベル」でそれを知って生まれてきているから。 なのかもしれませんね 。 おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ わたしの日記をいつも読んでくださる、あなた。 にほんブログ村 ↓ いつも「読んだよ!」と、ポチッと知らせてくださる、あなた。 にほんブログ村 いつも本当に、本当にありがとうね ( ´▽`)ノ にほんブログ村 読者登録をしてくださっている1107名ものみなさま・・・ 少しずつ増えてくださることが、とても嬉しいです。 更新を楽しみに待ってくださるお気持ちを・・・ありがとうございます ( ´▽`) ![]() :
最終更新日
2021.03.04 12:36:23
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