Soccer of the Oppressed(笑)
W杯は完全に遅れをとってます。時差が少ないにもかかわらず、ほとんどチェックしておらず、日本-ブラジル戦も気が付いたら負けていた、という非国民振りを発揮してる。が、ブームに乗って、ちょっとネタにしてみよう。日本敗退後の、「負けた要因は??」的なニュースがなかなか興味深かったのでいろいろ拾って読んでたけど、その中でこれが特に目を引いた。http://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/nakata.html?d=24nikkanspsctp30606240023&cat=39&typ=t特に以下の部分。ジーコ監督の「選手の育て方」について。中田英、小野ら「黄金世代」が世界と対等に戦える日を目標に、就任当初からジーコ監督は選手へ「自由」を与えた。監督がやりたいサッカーではなく、選手がやりたいサッカーを4年間かけて実践させた。「サッカーに決して同じ状況はない」。 試合になれば、1つ1つのプレーに監督が指示を与えるひまなどない。その時々によって、選手自身が判断し、瞬時にプレーを選択する。規律で選手を縛り、監督のやりたいサッカーに選手をあてはめたトルシエ前監督とは対照的なやり方だった。このくだりを読んで重なったのが、先日も紹介したPaulo FreireのPedagogy of the Oppressed。教師と生徒の関係について語っている第2章だ。ジーコ監督もFreireもブラジル人、という事で、かなりこじつけの気はするけど、ジーコ監督の「教え方」にPedagogy of the Oppressedで批判されている、「バンキング教育」論に反対する姿勢が見えた。この「バンキング(銀行)教育」とは、教師=抑圧者が、生徒=被抑圧者を「入れ物」と見なして、銀行に貯金をしていくようにひたすら情報を詰め込んでいくもの。その特徴を引用してみると(a) the teacher teaches and the students are taught;(b) the teacher knows everything and the students know nothing;(c) the teacher thinks and the students are thought about;(d) the teacher talks and the students listens--meekly;(e) the teacher disciplines and the students are disciplined;(f) the teacher chooses and enforces his choices, and the students comply;(g) the teacher acts and the students have the illusion of acting through the action of the teacher(h) the teacher chooses the program content, and the students (who were not consulted) adapt to it;(i) the teacher confuses the authority of knowledge with his or her own professional authority, which she and he sets in opposition to the freedom of the students;(j) the teacher is the Subject of the learning process, while the pupils are mere objects.(Paulo Freire, Pedagogy of the Oppressedより)上のteacherをcoachに、studentsをplayersに置き換えると、コーチと選手の関係が分かるかも。ジーコ監督が、「選手に決断をさせる」サッカーを教えようと試みた際の見本になったブラジルサッカーは、60年代に既にこれらのバンキング教育の欠点を指摘し、大衆がそれに対抗する形で「改革」を行なってきた伝統のもとで育った。逆に、上のバンキング教育が未だに学校教育のノルマになっている日本でサッカーを教わってきた日本人選手にとって、ジーコ監督の目指す形を実践するだけの基盤が育ちきらなかったのかも。いや、W杯って、勉強になるなあ。(こじつけです。)ところで、自分の「教え方」はどうかな??という点。ネットを通して教える、という事で、やっぱり、情報を一方的に流す形になりがちだなあ、と思う。もちろん、こちらが学ばせてもらっているケースも多いけどね。でも、ネットっていうメディアを利用すれば、Freireが理想としている教育の形も、案外可能かも。どういう風に、は、まだ分かりませんが。今後の課題だな。親としては、完全に上のteacher-studentsの関係だね。ぬりえとかやらせてても、「あれ、どうして木がオレンジなの??(←緑のクレヨンを手にしながら)」とか、言っちゃうんだよね。彼らがオレンジだと思ったら、オレンジでいいのに。もっと、子供が自由に学んでいくのをサポートしてあげられるようにならねば。★★留学ブログランキング★★役に立ったと思った方、1クリックをお願いします。