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カテゴリ:秩父巡礼
今年は、秩父から朝廷に銅が献上され、日本で初めての通貨、
和同開珎が生まれてから、ちょうど1300年になるとか。 秩父鉄道は、それにあわせて最寄りの駅の名前を変えてしまった。 100年に一度だと考えれば、そのぐらいやるのも当然か。 長瀞をスルーする有料バイパスから国道に出て秩父方面に向かうと、 または帰り道でも、和銅が採掘されていた遺跡を横目に見ることになる。 いつも気になってはいたのだが、この日は巡礼を早めに切り上げ、 その和銅遺跡へ足を運んでみることにする。 遺跡へ向かう山道は狭く、対向車が来たらアウト、 というような場所も何ヶ所かあるが、幸い出くわさずに登る。 谷あいの斜面には民家がいくつか。その周辺には山桜が咲き誇って、 山里の春の雰囲気を存分に味わわせてくれている。 ![]() 山道のカーブ際にある駐車場に車を停める。 舗装はおろか整地もあまりされておらず、3台停まればいっぱいの、 本当にここが和銅遺跡の公式な駐車場なのか、 と考えてしまいそうな駐車場である。 駐車場から、今来た道を少し下ると、遺跡のある谷へと入ってゆく遊歩道がある。 歩道沿いの雑木には、木製の短冊がいくつもぶら下げられていて、 地元の人々によるものらしい俳句が書かれている。 和銅遺跡や、その周囲の自然の美しさを歌ったようなものが多い。 しかし。郷土愛や地域振興の意識は理解できるけれど、 こうしたものが、歴史ある遺跡の価値を高めたり、 遺跡の維持・保存に効力を発揮するとは、到底思えない。 むしろ、1300年来の風景を台無しにしてしまうものだと思う。 谷間には小さい川が流れていて、その名も和銅沢川というらしい。 水は清らかで、川底の石の色は、いかにも鉱物に洗われたような色をしている。 ![]() 川岸には、おそらく銅製の巨大な和同開珎の碑がある。 西武線の中刷りの写真で見てはいたけれど、これほど大きいとは思っていなかった。 ![]() 川の対岸は崖になっているが、その斜面を縫ってさらに歩道が整備されていて、 急なその道を昇っていくと、まさに1300年前、献上された和銅が採掘されたのであろう、 明らかに人為的に削られた岩盤を、すぐ間近に見ることができる。 削られて谷間ができた岩盤を跨ぐかたちで鉄製の橋がかけられているのだけれど、 危険なので3人だか5人だか以上では乗らないでください、と書いてある。 単なる崖っぷちであるだけでなく、その但し書きも手伝って、足がすくむ。 しかし、1300年も昔に、どうやってこの崖っぷちを登り、 どうやって銅を発見し、どうやって採掘をしたというのだろう。 ![]() ![]() ところで、 国道からこの沢へ向かう道へ入ってすぐ左手に、 和銅献上の年の2月13日に創建されたという聖神社がある。 つまり、この神社も、今年がちょうど1300年の節目の年にあたる。 ここにも、一度寄ってみたいと思っていた。 和銅遺跡との兼ね合いで興味をそそられたこともあるけれど、 寄ってみたかった一番の理由は、その社殿が、 龍神が宿るあの今宮神社から移築されたものと聞いていたからである。 ![]() 木立ちに囲まれた境内はすでに日が翳っている。 その中心に、朱塗りの社殿が構えていた。 これが、かつては今宮神社の境内に建っていたわけだ。 聖神社に移されてから、秩父市の有形文化財に指定されている。 拝殿の装飾は至ってシンプルで特別なものではないが、 奥の本殿の欄間には、手の込んだ彫刻が見られる。 拝殿に向かって左側には唐破風を持つ小さな社殿があるが、 これが、移築前の旧社殿だそうである。 秩父霊場の成立よりさらに遥か昔から受け継がれたもの。 歴史というものは、こちらがそういうつもりで行っているからか知らないが、 それが深い場所を訪ねれば訪ねるほど、その重みを実感する。 そういう意味で、札所以上に、というか、札所とはまた違う思いを、 和銅遺跡と聖神社に抱いたのだった。 ![]() 聖神社 秩父市黒谷2191 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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