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2012年01月04日
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カテゴリ:元気が出る話

お茶の水女子大学名誉教授・数学者 藤原政彦

 

 

かつて外国人が感動した日本はこんなに美しい国だった

 

 

改革は改善になるとは限らない

 

 改革は改善とは違うんですね。政治家がよく「改革、改革」なんて言っていますが、改革が改善になるのには四つに一つですね。四つに一つは改悪になってしまう。残りの二つは結局何も変わらない。

 この国を振り返ってみてもそうでしょ。かつて日本には素晴らしいものがいっぱいありました。そういうものが改革によってどうなりましたか。壊されただけではなく、人の心までも壊されてしまったと思うんです。

 たとえば、日本人は金銭崇拝からもっとも縁遠い国民でした。16世紀、日本に来たフランシスコ・ザビエルが一番驚いたことは金持ちが威張っていないことと、貧乏人が自分を卑下していないことでした。ヨーロッパなら貧しいことは惨めで、不幸で、恥ずべき屈辱的なことだったんです。そもそも日本では一番貧乏な武士が一番尊敬されていました。もちろん家老とか上級の武士は裕福でしたが、それはほんの数%で、大半の普通の武士は皆貧乏でした。

                    ●   ●   ●

 幕末から明治にかけて、たくさんの外国人がやってきました。みんな同様なことを書いています。

 明治11年の頃、スコットランドから来たバード婦人という女性は東北地方を縦断しましました。まずびっくりしたのは貧しさでした。農民が全員物乞いに思えたというんです。しかし、よくよく目を見るとみんな穏やかに目が澄んでいる。みんな実直に働いている。礼節をわきまえている。羞恥心もある。いかなる危害も加えることはない。当時のイギリスで、女性が一人で旅行したら、途中でころされるか、ごうかんされるか、身包み剥がされるか、騙されるか、何か起きるのに、日本では何一つ起きない。不愉快なことは唯一つ、みんなが自分のことをジロジロ見た、それだけ。

 あるとき、今の新潟県と山形県の県境のお茶屋さんに入ったんです。夏の暑い日で、馬から降りて「水をください」と言ったら、みすぼらしい婆さんが水を1杯くれた。しばらく休憩し、お金を何銭か置いて出発しました。そしたら、その婆さんはお金を返そうとするんです。お茶屋ではお茶にはお金を取るけど、水は無料なのだと、こう言ってお金を返した。バードさんはびっくりするんですね。ヨーロッパだったら、何とか旅人を騙して少しでも多く取ろうとする。しかし、その婆さんは理屈を言ってお金を返してきた、と。一体何という国なのだと。

                    ●   ●   ●

 あるいは、この国は法治国家だと言って自慢する人がいます。私に言わせれば法治国家というのは恥ずべき国家なんです。法律でしか人間の言動が規制できない。本当に高貴な国というのは法律ではなく、道徳とか倫理によって言動を自己規制します。

 たとえば、万引きをしたら親を泣かせてしまう。先祖の顔に泥を塗る。お天道様が見ている。こういう美しい発想がありました。

 あるイギリス人が明治の頃、日本に来てどこかの宿に泊まっていた。そして、自分の全財産を宿屋の主人に預けました。「これは大事なものだからしまっておいてくれ」と。

 そしたら宿屋の主人は、「分かりました」と言って、部屋の戸棚に入れました。鍵がないんです。それから2週間、このイギリス人は気が気じゃなかった。それで最期に開けて見て1文も盗まれていないんです。何という国なんだと。自分の国では家の中の引き出しにまで鍵があるというのに。

 それから、日本に来たほとんどの外国人が言っていたのは、日本が美しいということです。あるポルトガル人は長崎港を見て、「リスボンやベニスと比較にならない美しさだ」と讃えていますし、「日光の杉並木はこの世のものとは思えない」とか、棚田を見て「これは田園ではない。公園だ」と言った人がいます。中にはもう国全体が国立公園だ」と言った人もいました。よほど綺麗だったんですね。

                    ●   ●   ●

日本は歴史上初めて、人類の理想みたいな社会を作った

 

 とにかく、幕末から明治にかけて日本に来たすべての外国人が共通して言っていたことは、「日本人はみんな貧しい。しかしみんな幸せそうだ。こんあ国は世界に類を見ない」と。これは恐るべき発言ですね。

  なぜそう思ったかというと、街や畑で出会う日本人はみんなボロを着ているけれど、みんなニコニコして笑って、礼節をきちんとわきまえ、きちんと挨拶を交わしている。どう見ても幸せとしか思えない。なんでこんなに貧しそうなのに幸せそうなのか、これが分からないんですね。

 その日本人が近年、理想の国家を作った。

 1980年代の「1億総中流社会」です。国民の90%が中流というのは夢の世界なんです。要するに、全体の5%くらいの富裕層と5%の貧困層、これは突出した能力があって、ものすごく頑張る5%の人たちと、仕事もなくその日暮らしをしている5%は、いつの時代にもいるものです。これは仕方がない。しかし残りの90%はみんな中流だというのが「1億総中流」ということです。

 こういう夢の社会を日本が歴史上初めて80年代につくったんですね。日本というのはそういう歴史上初めての、人類の理想みたいな社会をつくったわけですね。

 江戸時代にもみんな貧しいのにみんな幸せだった。これは、21世紀における世界のもっとも重大な奇跡の一つになるわけですね。 (6面にに続く/昨年、児童福祉事業に功績のあった個人・団体を表彰する第20回石井十次賞贈呈式での講演会にて~文責編集部) 【ふじはら・まさひこ】:数学者。作家・新田次郎、藤原てい夫妻の次男として1943年満州国に生れる。ソ連軍の侵攻に伴い汽車で脱出。北朝鮮から福岡までの母と子3人による1年以上苦難の逃避行は藤原ていのベストセラー『流れる星は生きている』で描かれている。近年『国家の品格』がベストセラーになった。

 

『みやざき中央新聞』2012年(平成24年)1月1日(元日)2442号(第1部)発行紙より記事抜粋。

 

 

 自分が日本から離れて見て初めて日本の良さがわかります。仕事でもツアーでも良いですから一回でも外国の地を踏んでいらっしゃる方は、多分、そういことを感じた、と思うんです。なぜ、日本がそういう国になったかというと、江戸時代の265年の間に、長崎の出島を除いて原則的に鎖国し、外国の文化・風習に影響されなく、身分制度はあったが各藩において農村にも寺子屋と言って「読み書き算盤」を身分に関係なく貧乏人にも教育をした結果、著しく識字率は高くモラルが守られたのではないかと思うんです。それと、大陸から半島を渡ってきた仏教や儒教などの異国の文化・風習を日本人独自のものにする能力にたけていた。そのDNAが、今の技術立国として残っています。

 また、先の戦争でアジアの諸外国の植民地から解放するという名目で戦い、占領・統治していた国は、今でも識字率は高い筈です。韓国でも日本人は好きでないという数字は大きいですが、でも、統治以前と以降では全く違う数字です。これは、日本人も現地の子どもたちが、関係なく学校に通っていたからなんです。戦後生まれの爺ですが、親父たちは台湾で教師をしていました。兄や姉は、現地の子どもたちと一緒に勉強したり、遊んだりしたそうです。そういう面では、いい事もあったのですが、日本人の悪い面が出たと思うんです。自分たちは優秀で他の人たちはそうではないということです。特に、何でも日本の文化・風習を押しつけたと言う事です。もし、現地の文化・風習を理解した上で、現地の国の主権を認め、アドバイザー的に立っていれば随分と違ったことになったのでは、と思っています。 

 いずれにしても、戦後、アメリカスタイルが定着したことで日本の良き文化風習がなくなり、多国の文化風習を独自に昇華してきた能力が劣って来たとおもいます。でも、そういいながら何だかんだともうしましても、ある一部ではそういう嫌な部分がありますが、根底にはやっぱり他人いに優しい美しい心は残っていると思うのです。昨年の大惨事でも十分発揮されたと思います。≪爺私見≫

 

※1.抜粋記事に関する事や、是非新聞を購読して見たい方は次にお問い合わせをお願いします。

  2.2012年が始まりました。本年も相変わらずのブログではございますが、ご覧いただきますと大変喜びます。皆様方が、この1年が健康で幸せでありますよう祈念いたしますと共に、寒さ厳しき折、お体をご自愛ください。

 

『みやざき中央新聞』

 

〒880-0911 宮崎市田吉6207-3

 

Tel (0985)53-2600 Fax (0985)53-5800

 

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最終更新日  2012年01月05日 13時49分48秒
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