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カテゴリ:スピリチュアル
三泊四日の旅の最終日。 天気は、今にも雨が降りそうな曇。 山の方は、雲に覆われている。 間違いなく雨だろう。 南の方が天気が良さそうなので、南にある石楠花(しゃくなげ)の森公園へ向かう。 南に近づくにつれて、天気は回復。 道路が乾いていた。 公園の駐車場に着いた時には、雨の気配はまったく消えていた。 昨日は、巨木の森でシャクナゲの蕾をたくさん見た。 里では既に咲いているかと思ったのだが・・・ ぜんぜん咲いていなかった。 蕾は、巨木の森に比べると圧倒的に大きくなっていたが・・・ 公園のなかを奥まで歩く。 公園は、川に沿ってできている。 その川の美しいこと。 水の色が、緑色。 遠くを眺めると、山の中腹に白いものが見えた。 山桜だろうか。 南の方は暖かいので、開花したのだろうか。 この辺りは、もう春という感じ。 公園の一番奥まで行って、道路に出る。 そこから橋を渡ると、小谷ヶ滝の入口がある。 30分も歩けば、滝に着く。 しかし・・・ それには、それなりの覚悟がいる。 ここから先は、道なき道。 かなりハード。 気合いを入れないと行けない。 今日は、屋久島を離れる日。 飛行機は、12時25分発。 そんなに時間の余裕はない。 滝は、次回に取っておく。 今度来たら、川や海で泳ぎたいとのこと。 シュノーケルで熱帯魚を見たい様子。 夏場に来れば、滝も熱帯魚も見放題。 四季折々、いろいろ楽しめる。 10時半頃に公園を出て空港へ向かう。 南の方は、青空が見えていた。 しかし、北へ近づくにつれて小雨が降り出した。 屋久島の天気は、場所によってまったく異なる。 途中でブレスレットの浄化をする。 この川へ来るのは、3回目。 ほとんど毎日のように来ていた。 メインは、隣の砂浜を裸足で歩くことだったが・・・ 車での行き帰りに、またたくさん話をした。 徹底的に話した。 自分のこれまでの生き方を再確認してもらった。 それは・・・ 自分に正直に生きてこなかった人生。 周囲に迎合した38年間。 自分を偽り、ウソの自分で生きてきた日々。 そのために本当の自分がわからなくなってしまった。 もう一度ゼロからやり直すしかない。 自分を見つめながら、自分は本当は何をしたいのかを探す。 一つ一つ手探り。 試行錯誤の始まり。 それは、自分自身で始めるしかない。 常に自分を見守って、周りに迎合しようとする自分に気づく。 もうそれが習い癖になっている。 まるでそれが自分の本性のようになってしまっている。 だから不注意であれば、すぐにいつものパターンになってしまう。 よほど注意していないと、これまでの癖を乗り超えるのは難しい。 一歩一歩やるしかない。 そうしない限り、本当の自分に辿り着くことはできない。 今のままでは、偽りの自分のままで一生が終わってしまう。 それでは、今回生まれてきた意味がない。 もう一度生き直さないと。 人生を転換しないと。 彼女は、話した内容は秘密にしてほしいと言った。 残念でした! 既に日記に公表されています。 もう秘密にする時代ではない。 みんなで共有する時代。 共有することによって、お互いに学び合う。 他人(ひと)の経験は、自分の経験。 基本構造は、似ている。 他人(ひと)の経験から自分も学ぶ。 それでこそ各自の経験が活きる。 よく話して、彼女も納得。 「他人(ひと)の役に立つのなら嬉しい・・・」 この日記を両親にも読んでもらうように言う。 もしかしたら既に読んでいるかもしれない。 父親は、時々、こちらの日記を読んでいるらしい。 両親も子育てを通して気づくことが、まだ残っている。 子供が自立しない限りは、両親にもまだ学びが残っている。 まだ気づいていないことがある。 子育ては、親育てでもある。 子育てを通して、親も人として成長していく。 人は、成長過程で圧倒的な親の影響を受ける。 しかし、そのままでは終わらない。 普通は、反抗期というものがある。 それは、これまでの親の影響から離れようとする時期。 親の言うままにならず、自分の足で立とうとする。 それは、極めて大切なこと。 そうでない限り、自分自身を生きることはできない。 親の言うなり。 人は親に育てられ、小さいころは親の影響下にある。 しかし、成長するにつれて自己を主張するようになる。 それが、自然の成長プロセス。 ところが・・・ あまりにも親の押しつけが強いと、素直に自分を主張することができにくい。 親に迎合したまま大人になってしまうこともある。 そうなると、自分自身を生きることのできない大人ができてしまう。 いつも周りの顔色ばかりを気にする大人になってしまう。 自分というものが曖昧。 自分を信頼できない。 その結果、周りをも信頼できない。 そうなると、びくびくして生きることになる。 それが、対人恐怖であり、アダルトチルドレン。 それが、今の彼女。 これまでの38年間。 その総括をするために、屋久島へ来た。 自分の人生を振り返ることは、意味がある。 これからいかに生きるかを再検討できるチャンス。 彼女の場合は、生き直し。 本当の自分で生きるための転換。 いかに自分に正直に生きることが大切か。 いかに自分にウソをつかないことが大事か。 それなしでは、人生はほとんど意味がない。 いかに真実の自分を生きるか・・・ 真実の自分とは、何か。 周りに迎合しないとは、どういうことか。 単に自己主張することではないのは、明らか。 それは、単なる我が儘。 深い自分を生きること。 表面の浅はかな自分を生きないこと。 表面の浅はかな自分こそが、周りに迎合する自分。 それは、本質的に生きないで、保身のために小手先でごまかしている自分。 そのような生き方をしている人の、なんと多いことか。 自分の真実を生きている人の、なんと少ないことか。 それは、彼女一人の問題ではない。 多くの人に共通する問題。 程度の差はあれ、多かれ少なかれ彼女と似たようなものを持っている。 つまり、周りに迎合してウソの自分で生きているということ。 本当に自分の真実で生きていると断言できる人が、何人いるだろうか。 多くの人は周りに迎合し、周りと妥協しながら生きている。 なに? それしかできない? それが普通? 自分を生きるなんて無理? できないと思えば、できない。 無理だと思えば、無理。 逆に・・・ できると思えば、できる。 不可能ではない。 人生に不可能はない。 やりたいということは、可能性があるということ。 本当にそのように生きたかったら、それは可能。 あらゆることが、可能。 そういう時代になっている。 自分の望むとおりの人生を生きる。 それは、浅はかな自我我欲の人生を意味しない。 自分に正直に生きるということは・・・ 自分に真実に生きるということは・・・ 自分の深い意識に忠実に生きるということ。 表面意識に翻弄されないということ。 表面意識は、この世の意識。 この世を生き抜くための意識。 それも必要。 しかし、それだけでは足りない。 深い魂レベルの意識がいる。 その時に、初めて人は満たされる。 深い深いやすらぎを感じる。 自分の真実を感じる。 それこそが、自分のルーツ。 自分の意識の故郷(ふるさと)。 この世的な意識が、自分の故郷ではない。 自分の本質は、もっと深いところにある。 いかに深く生きるか。 いかに自分自身にグランディングして生きるか。 彼女を見ていると、浅い。 呼吸も浅いし、反応も浅い。 深いところで生きていない。 表面で生きている。 意識の表層だけで生きている。 もっと深い意識で生きないと・・・ 深い意識のみが、大きな意識につながっている。 大きな意識のみが、宇宙とつながっている。 宇宙とつながっている意識のなかに、やすらぎはある。 表面意識のなかに、やすらぎはない。 表面意識は、この世に適応するための意識。 その意識を使って、深い意識が働く。 それが、人の意識の仕組み。 例えて言うと・・・ 表面意識は、十二単(じゅうにひとえ)の一番外側の着物のようなもの。 そこは常に外気と触れているので、温(ぬく)もりを感じることはできない。 内側の着物にこそ、温もりが感じられる。 着物の一番奥には、本体がある。 それは、着物とは異なる。 意識の本体。 多くの意識を纏(まと)っている本体。 それこそが、真の実在。 人は、それを神と呼ぶ。 真理とも真の実在とも呼ぶ。 何と呼んでもいい。 真なるものは、変わらない。 そこをベースに生きること。 そこをベースに生きないと、人生は虚しくなる。 多くの人が、快楽に溺れた。 しかし、その末路は憐れなもの。 肉体の快楽に溺れれば、意識は空虚になる。 深い意識と共に生きる時にのみ、人は満たされる。 物質に溺れ、肉体に翻弄されてきた人類。 それが、これまでの人類史。 物質を理解し、肉体をマスターすることも必要。 それは、地球で生きるための必要条件。 その必要条件をマスターする過程で、それに溺れてしまった人類。 ミイラ取りがミイラになってしまった人類史。 そのことを理解し、それを超える時がきた。 それが、今という時代。 深い意識が花開く時。 この世意識だけでなく、魂意識が現れる時。 宇宙とつながり、多次元的に生きる時。 表面意識に惑わされず、表面意識を使いこなす時。 経験に溺れず、経験を活かす時。 人類史を総括し、新たな人類史を創る時。 人類史とは、まさに一人の人の人生に他ならない。 一人の人のなかに、人類史は凝縮されている。 自分自身を見ること。 そこに人類史がある。 自分は、人類の代表。 自分は、魂の代表。 自分自身のなかに、宇宙の始まりも終わりもある。 自分と共に生きるしかない。 『子は親の 鏡であれば 親もまた 子供見つめて 己に気づく』 『外側に 翻弄されて 迎合し 浅く生きれば 自分失う』 『真実に 生きるしかない 真実は 自分自身の 奥底にある』 『人はみな 一人一人が 人類史 自分のなかに すべてが宿る』 これが日記を書き始めて2619日目の心境。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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