テーマ:☆★バイク★☆(8012)
カテゴリ:懐かしい思い出
’80年3月、三重県津市一身田町の「YAMAHA第一カートランド」(通称=見当山)にて「中部ミニバイク選手権シリーズ」第1戦が開催されましたが、私は学校の都合(再試験でした・・・)で不参加。 5月の第2戦にSUZUKI RM80改でFLクラスにエントリー。 ※’79年まではS2クラスにもスズキRM80やホンダXE改・CR80(新発売)も出る事が出来ましたが、YZ80などのヤマハマシンがRMに勝てないので’80年からのS2クラスはYAMAHAマシンのワンメイク・クラスになりました。(このシリーズ戦はYAMAHA系販売店の主催レースの為)
当時のトランポ「サニートラック」(シルバーに色替え直後です)にRM80を積み込みレースに行ってました。第2戦の結果はFLクラス5位、まだ一度も表彰台に上がれません 7月の第3戦は、年に一度の「MFJ公認レース」で、入賞するとボーナスポイントが加算されます。このレースには招待選手として、当時YAMAHAワークスの水谷勝選手、木下恵司選手がYZ80でFLクラスに特別参加。燃えますね~
予選終了後、パドックでくつろいでいます。後ろに写っているのは、応援に来てくれた友人とサイドにラインを入れたサニトラです。 FLクラス予選(10周)で、水谷選手と一緒に走りましたが・・・もちろん水谷選手より前で予選通過、確か3位だったと思います。 その日の最終レース・FLクラス決勝(20分+2周)がスタート 2列目・5番手からスタートして1周目に3位に上がり、水谷・木下両選手をラップ遅れにしながら上位3台で4位以下を引き離していきます。
1位は’80モデルYZ80、2位は’80モデルRM80、そして3位(青いヘルメット)が’78モデルRM80の私です。 レースも中盤にさしかかった頃、前を走る新型RMを抜き2位に上がりトップを射程に捕らえました。その後毎周第2コーナー(右カーブ)進入時に1位のアウト側から並ぶ様にしてしかけていましたが、20分経過・ラスト2周のサインが出た時・・・
第2コーナー進入の時、1位のライダーが私をブロックしようとマシンを少しアウトに振った瞬間、彼のインぎりぎりに飛び込みトップに浮上 そのまま逃げ切り、念願の初優勝
初の表彰台が1番高い所です 気分は最高(暑かったのでサーフパンツ一丁の上半身裸) ※後ろに見える山は、昔のモトクロスコースです。
表彰式の模様です。('80年のFLクラスのチャンピオンは表彰台上の三人で争いました) 残念ながら水谷・木下両選手は6位内に入賞できませんでした。 そして9月第4戦は、予選スタート直後にプラグがカブリ緊急ピットイン、自分で予備のプラグに交換し最下位でコース復帰。怒涛の追い上げが実り、予選B組最下位の10位で通過。決勝はもちろん最下位20番グリッドからスタート、必死で抜きまくって5位フィニッシュ
FLクラス・ランキング3位で迎えた11月最終戦、チャンピオンを獲るには優勝が絶対条件 予選はA組2位で通過、決勝グリッドはランキング上位三人が最前列に並んでいます 決勝スタート・・・1周目の5コーナーでトップに立ち、そのままブッチギリでゴール ランキング2位の選手は転倒リタイヤ、ランキング1位の選手も振るわず6位フィニッシュ。 な・なんと・・・2ポイント差で私が念願の’80年FLクラスチャンピオンに 私の人生の運を使い果たしました 翌年 ’81年3月第1戦は雨中のレース。ブリーフィングで、主催者から衝撃的な発表がありました。 「突然ですが、騒音問題の為に今回のレースを最後に見当山でのレースは無くなります」 ガーン・・・・・・ コースのすぐ隣に「養老院」が建設された為でした。 FLクラス決勝は・・・初のポールポジションからホールショットで2位以下を引き離すも、5コーナーでリヤがスリップして転倒、最下位転落。再スタートして鬼神の如く追い上げるも5位フィニッシュ 残念な結果で、私の第一次ミニバイクレースは幕を閉じました・・・・・・・・引退 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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