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海外

2017/08/12
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テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
紗那の墓地で墓参・択捉島

日本人の墓・択捉島
 択捉島で紗那の日本人墓地を訪れ、皆で墓参をしました。

 私は12年振りの再訪です。

 自然石に名墓碑銘を刻んだだけのシンプルな墓石がほとんでです。

 しゃがんで線香を供え、拝もうとしている墓には、死亡年が大正弐年と刻まれています。(上の写真)

 元島民の伊藤光作さんの読経に合わせ、皆で参拝してきました。(下の写真)

 伊藤さんは、ビザなし訪問が始まってから、北方領土にもう24回も足を運んでいると言っていました。

 彼は、島にいた子供時代の思い出を、懐かしそうにいろいろ語ってくれました。

 一向に返還の兆しが見えない現状に、複雑な心境を抱いているに違いありません。

 紗那の墓地は、わりと急な山の斜面にあり、現地のロシア人墓地としても使われています。

 ここに、墓石に死者の生前の顔を掘り込み、周囲を鉄枠で囲んだ真新しい墓が多数見られました。

 2005年に訪れた際には見られなかった墓の様式です。

 このような墓を設置するには、それなりの費用も必要でしょう。

 流行もあるでしょうが、経済的にもゆとりができた証拠ではないかと思われます。






Last updated  2017/08/12 07:00:38 AM
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2017/08/11
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
博物館の日本品・択捉島

博物館の戦争遺品・択捉島
 択捉島に上陸して真っ先に訪れたのが文化会館に付属する博物館です。

 さまざまな展示コーナーの中に、ビザなし交流で日本から贈られた様々な品が並べられている部屋がありました。(上の写真)

 大事にしていることの証しですが、うれしいことです。

 また、戦争遺品を展示しているコーナーもありました。

 飯ごうや鉄兜、砲弾などのほか、ロシア兵の真新しい軍服が誇らしげに飾られていました。(下の写真)

 これを見て、北方領土がロシア(旧ソ連)に不法占拠されたままの状態であることを、強く意識させられました。

 外務省のHP北方領土問題とは?に次のような説明があります。
(1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。

(2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。

 これに対して、ロシアや他の国々はどう考えているでしょうか。

 北方領土問題-やさしい北方領土のはなしに次の記述が見つかりました。
 『北方領土問題は、日本とロシアの問題なので、ほかの国の政府は、あまり口出しないようです。
 世界で一番有名な百科辞典である『ブリタニカ百科事典』で調べると、英語で、次のように書いてあります。
 千島には最初にロシア人が住み着いた。これは17、18世紀の探検に引き続いて行われた。しかし、1855年、日本は南千島をうばいとり、1875年には全千島列島を領有した。1945年、ヤルタ協定にもとづいて、 島々はソ連にゆずりわたされた。日本人は引きあげ、かわってソ連人が移住した。日本は、今でも、南部諸島に対する歴史的権利を主張し、 島々に対する日本の主権を回復するように、ソ連・ロシアを、くり返し説得している。
 これは、ロシアの説明とだいたい同じで、日本政府の説明とは全くちがいます。このように、日本政府の説明は、世界中からあまり理解されていません。』

 このような意識のもとでは、北方領土が日本に返還される積極的な意味合いがうすいといわざるを得ません。

 日本政府や日本国民がもっと声を大にしてわが国の立場を説明し、世界の国々に返還を訴えていく必要があるでしょう。






Last updated  2017/08/11 07:00:57 AM
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2017/08/09
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
2005年の内岡の港・択捉島

2005年の色丹島・穴潤の桟橋
 12年前の北方領土の港の姿です。

 上の写真は択捉島・内岡(なよか)の港。壊れたような小型の舟が乱雑に浮かんでいました。

 下の写真は色丹島・穴潤(あなま)の港。なんと、廃船を桟橋代わりに使用していました。

 両者も、とても日本では考えられない港湾風景でした。

択捉島に上陸する訪問団一行

 今の内岡港は随分整備され、12年前とは比べようもない姿に変身していました。

 大型船が接岸できないのは今も同じですが、はしけから直接岸壁に上り込むことが出来たのです。

 経済的にゆとりが出てきたロシアは、辺境の北方領土にも予算を投じるようになったようです。

 写真の一番手前に写っている方は、もと島民の日本人です。

 北方領土返還の兆しがなかなか見えない現在、複雑な心境でふるさとへ足を踏み入れたのではないでしょうか。

 現地の行政府から港で出迎えを受け、この後2台のマイクロバスに便乗して訪問先の施設に向かったのでした。






Last updated  2017/08/09 04:00:08 PM
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2017/08/08
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
黎明の散布山・05択捉島
 択捉(えとろふ)島の名峰・散布(ちりっぷ)山(1,582m)です。(2005年撮影)

択捉島の散布山
 7月23日、択捉島の紗那港に入って、懐かしい散布山が見えました。

 前日、荒天のため国後島沖で足止めされたため、一日遅れの訪問となりました。

 曇天の晴々としない天候で、以前のような素晴らしい景色ではありませんでしたが、散布山は全容を現し、我々を温かく出迎えてくれたように思えたのでした。

 択捉島は国後島の2倍強、沖縄本島のおよそ2.7倍もある大きな島です。

 2005年に訪れてから12年後の再上陸です。

 あれから島はどう変わったのか、私の関心はもっぱら、そのことにありました。






Last updated  2017/08/08 02:00:05 PM
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2017/08/06
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
夜のエトピリカ号デッキ

エトピリカ号の食事風景
 夜のエトピリカ号デッキと、船内の食事風景です。

 北方領土訪問で、私たちは足掛け5日間、この船にやっかいになりました。

 朝食は午前5時、昼食は午前10時、夕食は午後5時です。

 北方領土は時差が2時間あり、すべて早い時間帯ですが、慣れるのに苦労しました。

 わが秋田が集中豪雨に見舞われた22日、天候悪化で船が沖へ出せず、択捉島訪問を中断して、1日船内待機となってしまいました。

 狭い船内で、何もせずゴロゴロしているのも、退屈なものです。

 訪問団の中に、女子学生通訳が数人いました。

 その中に大阪の女性が2人、独特ののりの良さでしゃべりまくっていました。

 その一人「寝るか、食べるか、飲むか、か」。するとすかさず隣りの女性「今夜も飲むか、酒ないけど」

 毎度こんな調子でした。

 彼女達は択捉島のホームビジットで通訳する役目でしたが、その日程がつぶれてしまったので、結局彼女たちの出番はありませんでした。


 退屈しのぎにと、私は「数独」を持っていったので、時間つぶしには最適でした。

 数独は、空いているマスに1から9までの数字をかみ合わないように入れる、最近流行のパズルです。

 よりによって上級編を買っていったので、初めはぜんぜん解けません。

 5日間の合間合間に挑戦し、最終日頃になってやっと2問が解けました。

 多少頭を使うし、根気も必要です。年寄りのボケ防止にはいいので、そう思う方にはお勧めですヨ。






Last updated  2017/08/06 02:00:04 PM
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2017/08/05
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
夕食交流会・国後島

 国後島の「友好の家」で行われた夕食交流会です。

 お酒も振る舞われました。

 この建物、なんとなく日本的だと思いませんか。

 そうです。日本がロシアとの友好を目的に建設した、いわゆる「ムネオハウス」と呼ばれる建物がここです。

 建物建設に力を注いだのは元衆議院議員の鈴木宗男氏。かれは受託収賄罪などで2010年に失脚しましたが、公民権停止が解け、政界復帰を狙っているようです。


 写真中央の青いシャツの男性はフヨドロフ・セルゲイさん。

 昨年、ビザなし交流で秋田へ訪れたそうです。

 カフェを経営しているといい、交流会の途中で席を外し、自分の店からコーヒーを運んできてサービスしてくれました。

 その手前、橙色のシャツの女性はイリーナ・ネベドムスカヤさん。

 国後島の国立公園で働いているそうです。

 彼女から公園のサイトを教えていただきました。→国後島国立公園

 国後島は沖縄本島より大きい島ですが、住んでいる人口はわずか8千人ほど。

 島内のほとんどは手つかずの自然です。






Last updated  2017/08/05 02:00:06 PM
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2017/08/04
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
ロシア正教会見学・国後島
 国後島のロシア正教会を見学しました。

 小さな教会ですが、内部はとてもきれいです。

 ブラーギン神父が詳しい説明をしてくれました。

古釜布の商店街・国後島
 国後島の商店街です。

 道路の両側に並んでいる建物はみな商店なのですが、ずいぶん殺風景です。

 霧が立ち込めていたので、なおさらそう感じます。

 択捉島へも行く予定が組まれていたので、ここでは買い物はしませんでした。






Last updated  2017/08/04 04:00:06 PM
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2017/08/03
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
博物館のエトピリカ・国後島
 国後島の博物館を見学。自然環境のエリアで目についたのがエトピリカの剥製。

 エトピリカは鮮やかな飾り羽と赤いくちばしが特徴の海鳥です。

 北方領土ではコロニーが観察されている普通の鳥ですが、日本に限っては根室周辺などわずかな地で見られるのみで、地域絶滅の危険が大きいとされているようです。

 いずれにしても、エトピリカが日本と北方領土を結び付ける一役を担っていることは喜ばしいことです。

 そういえば、北方領土ビザなし交流船もエトピリカ号でした。

博物館の見学・国後島
 国後島の博物館で北方領土の生き物たちを紹介る女性説明員です。

 彼女の名はムハメドジャノワ。美人ですね。

 ムハメドはイスラム世界ではおなじみの語です。若しかしたら白系ロシア人とは顔立ちが違うので、彼女はイスラム教でしょうか。

 隣りは通訳の大島さん。

 彼とは以前にも会っていて、顔見知りでした。






Last updated  2017/08/03 03:00:08 PM
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2017/08/02
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
パンで出迎え・国後島

 パンで出迎えしてくれた民族服姿の国後(くなしり)島のご婦人です。

 訪問団が昼食交流会場に入ろうとしたときの出来事です。

 一人一人がパンをちょっとつまみ、塩を付けて口に入れてから入場するのです。

 ロシアでは、歓迎のあかしとして、パンと塩を女性が盆に載せて迎える習わしがあるのでした。

 その所作は何を意味するのでしょうか。

 るいネット「ロシア人の市民生活の中に見る共同体性」にその訳が次のように記されています。
『「パンと塩」は歓待のしるし
「歓待」を意味するロシア語「フレープ=ソーリ(パンと塩)」はロシアの社会関係を考える上で、きわめて重要な言葉である。
「パンと塩で迎える」とは最大級の歓迎のしるしであり、「ともにパンと塩を食べる」とは同じ釜の飯を食う、「パンと塩を忘れる」とは恩を忘れるという意味である。食卓で「パンを塩を」と言われれば、「もっと召し上がれ」ということ。
そして、現在もなお、広く行われている風習は、タオルの上に文字どおり大きな丸パンとその上に塩をのせて差し出すというもので、これは最も尊敬すべき客人を心から暖かく迎えるべく、客に対して恭順の気持ちを示す大切な儀式である。


 われわれ北方領土訪問団員を心から歓待してくれたよいう訳です。

 そのパン、実に美味しくて、もっと多くつまむんだったと、よこしまな考えがよぎりました。

 似たようなパンを、国後島の店から土産に買って帰った私なのでした。

昼食会のボルシチ・国後島

 昼食会で最初に出されたボルシチです。

 ロシアの定番料理ですが、これも日本人好みのいい味でした。

昼食会場の調理室風景・国後島員


 昼食会場の調理室をスナップしました。

 この日のメニューの一つ、ロシアの水餃子ペリメーニを一生懸命調理しているところです。






Last updated  2017/08/02 06:59:23 PM
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2017/08/01
テーマ:海外旅行(4013)
カテゴリ:海外
国後島の女の子

国後島・交流会になまはげ

 国後島の交流会で友達になった子ども達です。

 上の写真は、私の隣りにやってきて、ずーっと一緒だった女の子です。

 名前はアリーシャ。会話集を開いて名前を聞き出し、手帳に書いてもらいました。

 スマホを持っていて、ゲームを開き、盛んに私に画面の説明をするのですが、わたしはちんぷんかんぷん。

 会話は通じないのですが、分かったようなふりをして私も「うんうん」と頷いて応えます。

 それでなんとなく通ずるんです。

 交流会が終わり、別れる時には私に抱きついてきたので、ハグしてさよならしました。


 アリーシャちゃんの次に、私に寄ってきたのはスラーワ君です。(下の写真)

 彼はお土産にもらった竹とんぼを手に持っています。

 うまく飛ばせなかったので、私がお手本を見せてきました。

国後島の子供たちと竹谷参議院議員


 国後島の子供たちに囲まれた竹谷参議院議員です。

 会話集を駆使して上手に会話をこなし、彼らを虜にしています。

 人の心を掴むのがうまいですね。

 彼女は若いながら控えめで、いつもにこにこしながら落ち着いて行動していました。

 私の支持する政党でないのが残念です。

 わが秋田県からは若手の女性県議が1人参加しましたが、立ち居振る舞いに竹谷参議とは大きな違いを感じました。

 でも某女性県議も帰国後、早速集中豪雨で被災した地を訪れ、激励していたのがテレビに映っていたので、頑張っているなと見直しましたがネ。

 今回参加した国会議員は3人です。






Last updated  2017/08/01 04:36:36 AM
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野の花2517@ Re:方言が善光寺神社の命名由来(09/24) 方言が名前の由来ですか、それも、おもし…
野の花2517@ Re:スポットライトのギボウシ(09/23) スポットライトを浴びて、ギボウシさんも…
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