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今日は長崎市の浦上地区のキリシタン墓地巡りを書きたいと思います。
浦上地区には街の真ん中に四つのキリシタン墓地があります。 墓地が出来た頃には岡の上で木々が一杯繁って居たとの事ですが今は街の真ん中です。 したがって当然坂の上にあります。 長崎は坂の街と言いますが、このキリシタン墓地巡りは上ったり下ったりで足は パンパンに腫れ上がり膝はガクガクになりました。 浦上天主堂近くの「経の峰墓地」山里小学校の傍の「白山墓地」聖フランシスコ病院の 傍の「こうらん場墓地」其れに赤城墓地の四つの墓地です。 キリシタン墓地をみて回ると立派な大きな十字架の墓がズラリと並び圧倒されます。 まるで外人墓地に紛れ込んだ様ですが、点々と仏教の墓が建っています。 此は長崎独特の墓の形式で三つも四つもの異なる宗派のお寺の墓が一緒に混在しています。 キリスト様もお釈迦様も阿弥陀様も皆一緒でまるでチャンポンです。 外国ではあり得ない事でしょう。 長崎では土地が狭くて墓地が作れないと言うハンディがあるからでしょう。 其れにしてもキリシタン墓地はスゴイ。 今回は世紀の信者発見となった杉本ゆりの墓やその妹クララ森内の墓碑巡りをした。 裏話で信徒発見となったのは妹のクララ森内となって居たが近年姉の杉本ゆりと言う事が 判明しました。 今まで口八丁手八丁の妹が色々言って居た事でそう思い込まれて居たが、実は温和しい姉が 初めてプチジャ神父に告白したとの事です。 姉杉本ゆりの寝墓。 妹のクララ森内の墓。信徒発見のマリア像は此方の墓に建って居ます。 浦上四番崩れで津和野に流刑されたキリシタンの頭目高木仙右衛門の墓 同じく津和野に流刑された守山甚三郎夫妻の墓 中にはこの様な墓碑もあります。 洗礼名を漢字で書き一風キリシタン墓碑でない様に擬装した。 多明我はオメガと読みキリスト教では良く使われます。 加太利奈はカタリナと読みます。 その他色々見学したがこの辺で終わりにしたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.12.17 20:56:07
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