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「ヒ、ロ、ト。。」
小さな寝言に、俺は目を覚まし、俺の腕を枕に眠る女に目をやる。 隣に眠るのは、兄、紘人の遺した彼女、高崎美莉。 少し眉をゆがめ、手が何かを探すように、俺の体の方に伸びる。 眠りを妨げないように、そっと抱きしめて、背中を撫ぜてやる。 少しそうしているだけで、また、小さな寝息をたて始める美莉。 俺もまた、美莉から体を離す。 そして、そのまま、窓からほのかに入ってくる月明かりに、美莉の寝顔を眺める。 安らかな寝息。 21歳になったとは思えないあどけない寝顔。 俺、大場慶介は、2年間こんな風に、兄のベッドで、兄の遺した恋人を抱いて眠ってきた。 ただひとつ、付け加えさせてもらうなら、 一度も性交渉はないってこと。 2年前、 「ミリへ ごめんな。 紘人」 たったそれだけの、短い遺書を残して、兄、大場紘人は、この世を去った。 父から紘人が死んだと連絡を受けたのは、他県の友達の家に泊まった翌朝だった。俺は急いで実家に戻った。居間に入ると、紘人は、部屋のど真ん中に敷かれた布団に寝かされていた。かけ布団の下から、胸に重ねられた手が見えている。信じられない。顔にはよくテレビで見るような白い布もかけられておらず、ただ静かに寝ているように見える。 でも、死んでいるんだ。 周りでは、もうたくさん集まりかけてきた近所や親戚の人たちが、あわただしく、通夜や葬式の準備や相談を始めている。「一体どうして?」「美莉ちゃん宛だけに、、遺書があったんだって」「ヒロトは馬鹿よ」いろんなひそひそ声、そして泣き声。 そんな周りの気配からぽっかりと浮かんだように、枕元には、ひとり、美莉。 こっそり見に行った先週の卒業ライブでは、着納めになるから、と、制服姿で相変わらず明るく豪快なパフォーマンスを見せていたのに。 今はただ、ぼんやりと白いオーラがかかったみたいに、ふわりとそこにいるように見えた。 俺はすぐには美莉に声をかけられず、ただ見つめていた。 そして、 「慶介」 父に呼ばれた。 「父さん、母さんは?」 「少し横になってる。大丈夫だ。おばさんがついてくれてるから」 「ヒロトのやつ、なんで?」 父は黙って首を振る。 「わけが分からないんだ。夜中の3時ごろに急に、紘人から電話があったんだ。『悪いけど、朝までにこっち来てくれないか』って。紘人がそんなこと言うなんて、これまでになかったし、ただ事じゃないと思ったから、すぐに行った。そうしたら」 いつも冷静な父親が、震えている。急に10歳も老け込んだように見える。俺は、そっと、肩を掴んだ。父親は我に返ったように、 「首をつっていた。すぐに下ろして、救急車を呼んだが、もう無理だった」 間に合わなかったことで自分を責めるような父。でも、父さん、仕方ないんだ。紘人のマンションはここからどれだけ急いでいっても15分はかかる。それは、そのとき目の前にでもいない限り、助けられる死に方じゃない。 「なんで、わざわざ、父さんを。」 「美莉ちゃんが、見つけないようにするためだろうな。」 と美莉に目をやる父。 「美莉ちゃんも、かわいそうに」 「遺書があったって?」 父はぼんやりとこちらを向いて、 「遺書っていうほどのものかどうか。ただ、テーブルの上に、『ミリへ ごめんな。 紘人』って書いた紙があっただけだ」 父はそれだけいうと、葬儀屋らしい男に呼ばれて部屋を出て行った。 遺書って、たった、それだけ?3年も一緒にいたのに。 俺はあやうく、紘人に飛び掛りそうになった。 おい起きろ、ミリにちゃんと謝れって、ちゃんと説明しろって、ふざけるなって、ミリをこんなに悲しませるために、俺はミリをあきらめようとしたんじゃないんだぞって。 揺さぶって、揺さぶって起こしてやりたかった。 でもその衝動も次第に収まっていく。 一体、、一体なんでだよ?ヒロト。俺だって、悲しいし、悔しいよ。 どうして、何も言わずに逝くんだよ。 大事な大事な兄貴だから、いつも俺の目標だった兄貴だったから、 だから、ミリのこと、、身を引いたのに。 気が狂いそうなほどの美莉への想いを、必死で押さえ込んで3年間生きてきたのに。 なんで、こんなことに? 腹立ちと悲しみが半分半分になった頃に、美莉と目が合った。と、思ったけど、美莉の目は何も見てなどいなかった。バッグを持って、ふらふらと立ち上がる美莉。そのままふらふらと、玄関に向かう。誰もその美莉に気づかない。俺は、慌てて、追いかける。今の美莉を1人になんてできるはずがない。 黙って歩き続ける美莉を追う。門を出て、美莉が一歩目を出したときから、行き先は分かっていた。紘人のマンションだ。 あまりに不安定な歩き方。俺は、少し迷ったが、美莉の腕を取った。 一瞬足を止め、そっと俺を見上げる美莉。 「ケースケ」 ふわりとした声で言う美莉。 俺はただ、頷いた。 美莉も何も言わず、一緒にマンションを目指した。 マンションに着くと、鍵を取り出す美莉。そっと鍵を開ける。少し乱れた室内。多くの人間が出入りしたからだろう。美莉は慣れた様子で、下駄箱の上に鍵を置き、中に入る。俺は美莉から目を逸らさないようにして、ベランダの窓を開ける。空気を入れ替えたかった。 美莉は、部屋の真ん中に立ち、目を閉じた。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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