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楓が取り出したネックレスを見て、
柚子の診察時に、初めてそれが胸元に揺れていた時のことを思い出す。 『いいものだね』 そういうと、嬉しそうに口元をほころばせ、 『彼にもらったんです』 そういった柚子の笑顔を、覚えている。 僕は、その彼に会ったことがあった。 2人で、柚子には子供が産めない、いや、産めば死んでしまう、という事を確認に来た時だ。 彼は、政治家の息子だった。誠実な青年だったが、柚子が選ぶべき恋の相手ではなかった。でも、そんなこと、分かっていながら柚子は恋をしたのだ。どこで知り合ったのか、詳しくは聞かなかった。ただ、お互いに一目ぼれだったそうだ。2人は2年間付き合った。彼の方も、柚子をひたすら愛し大切にしていた。しかし、親の跡を継ぐためには、彼は結婚する必要があった。次の世代を作る必要があった。柚子が選ぶべき恋の相手ではなかったことはもちろん、選ぶべき結婚の相手でもなかった。 柚子と彼は別れることを選んだ。柚子はこれでよかったと、そう淡々と語った。 彼の夢をあきらめさせることなど最初から望んではいなかったんだから、と。 ・・楓の父親の時と同じじゃないか。 と思う。夢を追うオトコを愛し、その相手に愛されても、病のために、そばにいることをあきらめる。 それでもいつも涼しい顔をして。 相手への愛が大きい分、涼しい顔をしていた柚子・・・。 だけど、本当は深く傷つき苦しんでいたことは、計器が教えてくれたものだった。 最初の彼が、ちゃんと親の後を継ぎ、政治の道に入ったことを僕は知っている。柚子と別れた後、すぐに結婚したようで(彼には元々親が用意したきちんとした婚約者がいたのだ。もっとも柚子といる間は目もくれなかったそうだが)、やがて、一男一女に恵まれたことも。息子の方は僕も、時折目にすることがある。あの目、顔、若い時の父親にそっくりだ。いずれ、息子も今の職業から、政界へと転じる日がくるのだろう。そのためには今の仕事も悪い選択ではないはずだ。そう、顔を売るためには。 柚子の最初の彼が、政治の世界でしっかりと活躍していること。 彼が自分の夢をきちんと実現したこと。 僕は身を引いた柚子の思いが無駄にならなかったと、とても喜んできたのだった。 もの問いたげにこちらを見る楓。 相手の職業が職業だから、はっきりと名前を出すことはできないが、その当時のある程度のことをかいつまんで話す。 柚子がどれほど彼を愛していたか。 彼がどれほど柚子を大切にしていたか。 そして、やはり、その相手の夢を実現させるために、別れを選んだこと。 そしてその相手の夢は実現したことを。 話し終えた僕に楓はポツリと呟く。 「母は、、自分が、、命の短い自分が追うこのとできない夢を追っている、そんな男性に惹かれたんでしょうか」 「・・かもしれない。でも、それだけじゃない」 「?」 「柚子ちゃんが愛する相手は、、いつも柚子ちゃん自身と同じ、まっすぐな人だった。オトコの僕からみても誠実でしっかりした人間だったと思うよ。さっきも言ったように、彼女には、見る目があった」 楓は、小さくうなずく。そして静かに問いかける。 「母は・・・幸せだったでしょうか」 大きな意味を含んだ慎重な言葉に、僕は、大きくうなずく。 「ああ。間違いなくね。彼女はいつも余命なんて気にせずに生きたいように生きていた。僕はずいぶん手を焼かされたけど、、、柚子ちゃんが思いっきり生きぬいたことだけは間違いないよ。ずっとそばでみていた僕が保証する。柚子ちゃんは、いくつかの素敵な恋をし、君を妊娠し、そして生むことを選び、産み、亡くなる最後の瞬間まで、、、」 「・・・ほんとに、ありがとう。先生のこと、大好きだったよ」 柚子の静かな声を、最期の時を、思い出し、潤みそうな瞳をこらえて、僕は楓にしっかりと告げる。 きっと、聞きたいはずの言葉。 僕が、伝えなくてはいけないはずの言葉。 「・・・そう、君を、産み、亡くなる最後の瞬間まで、幸せだった。絶対に後悔なんてしていなかったよ」 楓は、僕の目を、まるで姉のように優しい目で見つめ、思いをしっかりと受け取ってくれる。 「ありがとうございます。・・・先生」 そういって楓は、ゆっくりゆっくり微笑んだ。 その笑顔を見たとき、 22年間、ずっと握り締めてきたものを手渡せたような安堵感が広がった。 ・・柚子ちゃん、君の大切な思いは、伝えたよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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