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カテゴリ:看護師の事
本来なら、今日のこの時間、私はコンピュータに向かっているはずはありません。なのに何故、私はコンピュータに向かっているのでしょうか。その謎の解説をこれからします。
今日は介護者会議でした。今までは看護職や他部署にも出席義務がありました。しかし、新施設長になってからは、そのような義務は無くなりました。毎月1回行われる運営会議(各部署の代表者が、各部署の問題を数点持ち寄って話し合う)に代表者だけが出席する形となりました。 同僚は早く帰れるので喜んでいます。それに同僚は「介護者会議に出ないで。中途半端に出たらずっと出ないといけなくなる」と私に釘を刺します。しかし、私自身はどうしても出たかったので、議事録にも出席者と載せてもらわず、タイムカードも押さずに出席する事にしました。 私は今日は遅番でした。これはついていると思って介護者会議に出席していました。私自身は介護者会議には出席したいのです。何故なら、現場の生の声が聴ける唯一のチャンスなのです。こんな貴重な機会を逃す手はありません。私は、現場が抱えている問題、現場が何を悩んでいるのかという事を知りたいのです。出来る限り現場の人たちの意見を聴き、その中で看護師としての自分が現場にどのようにアプローチをするのかを考えたいと思うのです。現場の事を何も知らずに一方的に何かを言ってもそれは届かないのです。 施設側が急激な収入減少を迎え、職員の残業代を特に削りたい意向である事は良く知っています。だから私は、タイムカードも押さずに、定時で帰った事にする為に明日、事務職員に手書きで書いてもらおうとしていたのです。私は残業代なんか欲しくありません。ただ、今の施設が少しでも良くなる為に色々な情報が欲しいだけなのです。 しかし、私が介護者会議に出席している様子を見つけた施設長は、「看護師は介護者会議に出なくて良いと言ったでしょう!車を回すから早く帰りなさい!」と無常な声をかけました。私は、宿直者が戻ってくるのを待っていたのではありません。時間稼ぎをしていたのでもありません。何故、このような貴重な会議に出席しなくて良いと言えるのか私には分かりません。現場の生の声を聴く唯一の機会はこうやって奪われていくのです。益々閉鎖的になります。 施設における支出削減の意向は分かります。経営者としては大切です。でも、それを理由に本当に大切な事まで奪う事に大きな疑問を感じています。現に、現場からは出席を望む声があるのです。 会議から追い出される形になった私には、切なさと悲しさだけが残っています。確かに、議事録を読めばある程度の事は分かります。でも、現場の生の声一つ一つが全て入っている訳ではありません。会議の進行によって書記が判断した内容しか書かれていないのですから。 ・・・私自身、一昔前までは施設を辞める事ばかり考えていたし、何度も辞めると口に出していました。しかし、ここ最近、私は一言も辞めるとは自ら言わなくなりました。この施設において、わずかでも力になりたいし、皆で力を合わせたらきっと少しずつでも変える事が出来ると思うようになってきたからです。今までは施設に絶望しか見出せなかったのですが、今は施設の中に、自分の中に希望を見出そうとしている私がいます。 私に何が出来る訳ではありません。でも何かが出来るかも知れない・・・。そんな希望を抱くたびに、踏みにじられる日々を過ごす今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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