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翌9日は朝から雨となり、雄大な開聞岳や長崎鼻ではやや肌寒かったが
さすがが南国、さまざまな花が咲き乱れ、さやえんどうが収穫真っ盛りなのに 驚く。 バスの一行は知覧で武家屋敷と特攻会館とに分かれたが、 迷わず平和会館を希望する、 実は希望するに当たって、ちょっと不安があった、 それはその類は二通りあって、 あの靖○神社のように、美化神格化し英雄のように称える場合と 真実のままに伝えるところがあるが、 さすがに若い特攻兵を送り出した前線基地だけたって、 真実そのままに見ることができた。 若い兵士たちはおそらく村や町で一、二を争う成績優秀なおかつ 人並み外れた運動能力を秘め、親や家族は自慢の息子たちだったろう。 隣に住む今年81歳になるSさんは整備兵を志願、 試験に不合格となり、その後村役場に呼び出され 「どうして難関の整備兵など志願した、村の恥だ」と 大いにののしられたと聞く。 全く勝ち目の無い戦に、優秀な若い兵士を無駄死にさせたことが その後の日本にどれだけ大きな損失だったか 改めて思い知らされた。 展示されておった当時の戦闘機、隼、飛燕、海より引き上げられたゼロ戦も 想像しておったよりはるかに大きいものだったが、 操縦席を覆っている鉄板は僅か2~3mmしかなくこれでは何の防御も無く 撃たれたらひとたまりも無かったろう、 また機会があれば今度は、時間をかけじっくりと見学したいと感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.12 08:07:41
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