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「私の人生は何だったのか」と思わずに晩年を生きるために。「私の人生は何だったのか」と思わずに晩年を生きるために。「次世代のために木を植える」【哲学者・岸見一郎さん】 (msn.com)「次世代のために木を植える」
「生涯多くの本を著した高名な哲学者の晩年の生活を伝えるドキュメンタリー番組を見たことがある。 原稿を口述していたその人は突然こう呟いた。 「一体、私の人生は何だったのか」 「何だったのか」というのは、否定的な意味が込められているのだろう。 どれだけ多くの仕事をし、それによって富と名声も手に入れたとしても、死を前にしては何の価値もない。 そうであれば、自分が成し遂げてきたことには何の意味もなかったのではないか。 仕事だけではない。自分のこともすぐに忘れられてしまうのではないか、と。 ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスは次のようにいっている。 「すぐにお前はすべてを忘れるだろう。そして、すぐにお前のすべても忘れられるだろう」(『自省録』) さすが、哲学者の言うことは違うね^^ 自分の生きる道に、後悔がないみたいだ^^ こういう方は、自分の世界というものを、しっかり 持っている人なのだろう。 ・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.16 06:11:42
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